落語

薮入り

柳家小三治で何度か聞きました。 30歳過ぎたニート、フリーターが社会問題となっている今とは別世界、10歳になるとすぐ奉公に出された時代の話。 年に1月と7月の1日ずつ、たった2日だけあった休みに家に帰るのが薮入り。 初めての薮入りで帰ってくる…

花筏&動物園(その2)

相撲の観客は、花筏が提灯職人の徳さんであることは知る由もなく、ましてや、千鳥ヶ浜との間で何が起こっているのか想像もつかないでしょう。 このようなありがたき誤解の上に成り立つ興行でなくなりつつあるのが今の相撲かもしれません。 マーは、両国の近…

花筏&動物園(その1)

花筏は大阪相撲の日本一ともいわれた最強の大関(この噺の当時は、相撲は江戸と上方に分かれ、横綱はなかったそう)の名前。 ところが、地方巡業の際、この大看板が急病になり、急遽影武者を立てることに。 白羽の矢が立ったのが提灯屋の徳さん。相撲の心得…

火焔太鼓(その2)

汚い太鼓になんと300両の値が。今のお金でいくらくらいというのは社会の仕組みが根本的に違うだけに試算不能みたいですが、おそらく1000万円は下らないお宝だったと思われます。 懐を小判でふくらまして帰って来た亭主の話を「あんな埃まみれの古太鼓…

火焔太鼓(その1)

≪先週末は、みなとみらいホールの日フィルコンサートに行って来ました。 広上淳一さんの指揮。漫画『のだめカンタービレ』に登場する「背の低いジャンプする指揮者」のモデルとの噂もあるdancing conductorです。 ベートーヴェンの交響曲第8番は、ホッとす…

堀の内(いらちの愛宕詣で)&池田の猪飼い(その2)

『堀の内』では、極度のそそっかしさを治すためお祖師様詣りに出かけたはずが、目指すべき方向と逆方向に歩き出して、途中で人に尋ねてそのことがわかって逆戻りし、家を出て随分経ってから出発点の自分の長屋に帰って来てしまい女房に呆れられますが、この…

堀の内(いらちの愛宕詣で)&池田の猪飼い(その1)

『堀の内』は粗忽者、『池田の猪飼い』の方は少々理屈っぽい天然ボケという感じですが、歩いていく途上の可笑しさについて、それぞれ語ってみます。 ところで、上方落語では、『いらちの愛宕詣で』が『堀の内』に当たります。 「いらち」は、大阪弁で、財団…

百年目(その2)

紙縒り(こより)を百本よる作業の進み具合を問われた丁稚が「もう96本でんねん」と答えるも「もう」は残りの意味でほとんど作業ができていなかった(「一升のお酒を宛がわれれば、御猪口にほんの1杯か2杯しか……残しません」という米朝のまくらも覚えて…

百年目(その1)

桂米朝が特に大切にしている噺。「私は「どの落語が一番むつかしいと思うかと聞かれると、「まあ、百年目です」と答えます」(『上方落語 桂米朝コレクション?』(筑摩書房))とあるほど。独演会を辞めた理由の一つもこの噺を演じて納得できなかったのが一…

はてなの茶碗&井戸の茶碗(その2)

「井戸」のあらすじは、浪人侍(千代田卜斎)が通りがかりの屑屋に無理強いして売りつけ細川公の家臣(高木作左衛門)が買い取った仏像から五十両の小判が見つかったところ、どちらの武士も「仏像を取引したが中の小判は与り知らぬ」と言い張り、間に人も入って…

はてなの茶碗&井戸の茶碗(その1)

この2つの噺は、大変な値のついた茶碗つながり以外にあまり共通点はありません。 「はてな」では、何の変哲もない素焼の茶碗を日本一の道具屋、茶金さんが清水寺の茶店で休憩しているときに不思議そうに茶碗をながめたことがきっかけで大事になるのに対して…

厄払い(かつぎや)(その2)

まず、『厄払い』は遊んでいる主人公へのバイトあっせんから始まります(ここは『米揚げ笊』も同様。米揚げ笊は、序にいうと仕事の世話をしてくれる人のところに辿り着くまでのやり取りが『池田の猪飼』と同様)。 米朝さんは、この新米厄払いが夜なき鍋焼きう…

厄払い(かつぎや)(その1)

≪昨日、うっかりブログ更新忘れてしまいました。「あっいけない!今日は2日分書き込もう」という几帳面な人もいそうですが、ぼんやりすとは、忘れるってことは「今日は休んだら」のすすめと受け止めました。というわけで、これから1週間に1回ほどお休みし…

『化け物使い』と『ひとり酒盛』(その2)

「こき使われているのに案外腹が立たないばかりか、時には進んで奉仕しよう」という気を起こさせる条件にはどんなものがあるでしょう。たとえば、 (1) 働いてくれている人を心から褒める(感情に任せた非難・叱責は極力控える)、 (2) 使われている側が納得…

『化け物使い』と『ひとり酒盛』(その1)

≪今日は、今月6日にオープンした丸の内・三菱一号館美術館(http://mimt.jp/)のマネ展に行って来ました。赤レンガを設えたレトロ風の建物で館内からの景色も綺麗。ただ、展示作品、スペースいずれもこじんまりとしていて、混雑の中でゆったり観るゆとりに…

長屋の花見(その2)

写真は、再来年完成予定のスカイツリー(既に東京タワーの高さを越えたとか。)と桜です。隅田川巡りの水上バスで両国・桜橋付近の景色を眺めて来ました。桜は満開、沿岸のどの桜並木も人・人・人。おそらく優れて日本らしい光景なのでしょう。 この落語の可…

長屋の花見(その1)

時期なので取り上げてみました。今年も東京近辺は満開のところへ春の嵐。このはかなさが桜の魅力なんでしょうか。それにしても、花の周りで(花を愛でる感じもさほど強くなくむしろ本題は)飲めや歌えや踊れやという風習は日本特有なのでしょうか。 外国でK…

愛宕山(その2)

注意を傾けたものとそれ以外とがその人の中でどのように区分けされるかを探る考え方の例として、雑踏の中でも注意を向けている人の会話をかなり聞き取ることができる「カクテルパーティ効果」という現象があります。 この場合、周囲のざわざわした音はうまい…

愛宕山(その1)

お花見情報が本格化してきたので、取りあえずブログデザインもそれらしく替えてみました。春先の噺というと愛宕山なぞどうでしょう。 これは志ん朝さんの高座が耳に残っています。クライマックスは、土器(かわらけ)投げの土器の代わりに、若旦那が小判を投げ…

『抜け雀』と『ねずみ』(その2)

多くの人は、いずれの噺でも、主人の人柄もあって、流行らなかったボロ宿に親近感を抱くのではないでしょうか。 評判が頗るいいのに、辛酸を嘗める主人は落語に割と出てくるようです。たとえば『帯久』の呉服屋和泉屋与兵衛など。 さらに両話では、外見から…

『抜け雀』と『ねずみ』(その1)

全く別のお話ですが、名人の作品に命が宿って動き出すという共通点があるので合わせて取り上げます。 『抜け雀』は、無銭逗留の客が宿代代わりに障子に描いた雀が、絵から抜け出したり戻ったりし、お人好しで損ばかりしていた主人のその宿に泊り客が殺到し、…

宿替え(粗忽の釘) (その2)

その後、しっかり者の奥さんは片付け・近所の挨拶回りも終えて新居にやって来ますが、とっくに出たはずの夫が未着。 小三治は、夫の言い訳を、犬の喧嘩見物⇒蕎麦屋の自転車とニアミス⇒よけた自転車が卵屋の店先に突っ込み大騒ぎ⇒交番へと寄り道としました。…

宿替え(粗忽の釘) (その1)

「そそっかしい」が主題ですが、面白さは、むしろ「しっかり者の奥さんと口では負ける夫(主人公)との掛け合い」、「目の前のことだけ一所懸命になるあまり滑稽なことを繰り返す主人公」の部分でしょうか。小三治と枝雀の口演で何回か聞きましたが、それぞ…

手水廻し(その2)

この落語の可笑しさはおそらく、村一番の長頭男が頭を廻してくれと頼まれたと勘違いして、高速回転し目を回してしまう場面と、主人と板前が手水をありがたく飲もうとして苦しむ場面にほぼ尽きる気がしますが、むしろそれ以上に、「わからないことは恥ずかし…

手水廻し(その1)

貝野村(海野村)の別名もある噺。 あらすじはごく単純で、田舎の商売熱心な旅館の主人と板前が、大阪から来た宿泊客の「ここへ手水(ちょうず)廻してくれますかな」(部屋に洗面の水を持ってきてくれませんか)という注文の意味がわからず、博識とされる、寺の和…

かわりめ(その2)

酔って帰るとやめればいいのに、家でさらに晩酌するのもよくありそうなパターン(実は私もこれまでたびたび家内に叱られました。)。「なんぞあて(酒のつまみ)はないか」とあれこれ要求すると、奥さんが予防線を張って悉く「いただきました」と答え、つい…

かわりめ(その1)

米朝さんの語りが好きで同じCDを2桁回聞いています。それでも改めて聞くとやはり可笑しい。落語の魅力です。 (以下、『桂米朝コレクション3(ちくま文庫)』を参考にしましたが、多くは耳に残っている声に拠りました。) まくらは、酒呑みの話です。「人…

天狗裁き(その2)

「ここだけの話」が好きなのは誰しも同じみたいでして… 〈以下、少し米朝さんのライブ記録 http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/index1.htm (リンクフリーとのことなので重宝しそうです。)から引用します。〉 [夢を見た男の妻の言い分]「……わたし…

天狗裁き(その1)

プロットは単純ですが、なぜか笑えます。次にどうなるのかわかっているのに可笑しい。吉本新喜劇に似た感じでしょうか。あるいは、私のツボにはまる噺といえるのかもしれません。 うたた寝している男が笑ったり、ぶつぶつ言ったりするのを見て、夢の話を聞き…