主体的に判断したい(その1)

「隣が、あるいはみんながそうしているから私もそうしよう」という傾向はいろいろなところでみられますが、今回の震災に際しても当てはまるところがいくつかあるように思います。
一つには、商品の買い占め。
生活必需品をこぞって買い始めると、困る人が発生するのは目に見えているのに、競うように買い占めてしまいます。


被災地に必要な物資を首都圏で大量購入することにより、支援物資の方に悪影響が出ないか気がかりです。
買い占める商品も保存が利きそうなものはもちろん、そうでない食料品まで店の棚から一掃されてしまいます。
「なくなったら困るぞー」という風評でも流れたのでしょうか。


これらの多くは根拠がないものだと思います。
流言には曖昧さがカギになっているといわれます。
信頼できる情報がなく、曖昧な状況に置かれると人々の間のコミュニケーションを通じて曖昧な状況にもっともらしい意味づけがなされることでデマが広がりやすいとのことです。
トイレットペーパー、飲料水、パンが首都圏で不足するなど公式情報はない(飲料水は放射性物質の検出で状況が変わりつつありますが)と思いますが、乾電池も含め非常時の対策に不可欠な物品としてイメージされ、それが増幅されて買い占め騒動に発展したのでしょうか。
被災地以外の一般人の車にあんな混雑を起こすほどガソリンが必要とも思えません。
曖昧な不安のなせる技なのか。


いずれにしても、買い占め行動に走っていない人にかなり不便が生じているのは明らかです。
さらなる震災や停電への不安やおそれで冷静さを失いがちな気分のところへ、このような人工的なパニックを加えるのは愚かしいことに思えます。