宿替え(粗忽の釘) (その2)

その後、しっかり者の奥さんは片付け・近所の挨拶回りも終えて新居にやって来ますが、とっくに出たはずの夫が未着。
小三治は、夫の言い訳を、犬の喧嘩見物⇒蕎麦屋の自転車とニアミス⇒よけた自転車が卵屋の店先に突っ込み大騒ぎ⇒交番へと寄り道としました。一方の枝雀は、チンドン屋法華宗の提灯行列について行ってはあらぬ所に辿り着き⇒自転車とニアミス⇒よけた自転車が茶碗屋の店先に突っ込み大騒ぎ⇒地震と間違えて外に飛び出した店の人の巻き添えで通行人のお婆さんがケガ⇒交番経由でお婆さんを肩車して病院へと寄り道として、より念が入っています。
いよいよクライマックス(?)の釘打ち。小三治は、男(大工)が瓦釘を壁に打ち込むところを、煙草をお預けにされたことと、奥さんの掃除が行き届かず残っていた蜘蛛の巣を見つけたことへの腹立ち紛れの勢い余ったしくじりとして、一気にあっさりと描きます。
枝雀は、大工とは大違いの、徳用のマッチ箱を載せたら落ちるような棚吊りをする不器用な男が、「嫁はんたるもん亭主の言うことは「はいはい」と(言えんか)」トントン(釘を打つ音)、「はいはい」トントンと続けているうちに打ち込んでしまうもので、釘打ちは独り言や講釈を並べながら丁寧に表現されます。煙草の禁断症状や蜘蛛の巣は出てきません。掃除も男が奥さんに頼まれてしたことになっています。
小三治噺の主人公は、奥さんに「落ち着くんだよ。おまえさん、落ち着きゃ一人前だ」と言われる「そそっかしいのが玉に瑕」(サザエさんと似ている?)のまっすぐな人柄。「マメなそそっかしい」タイプでしょうか。
自分の粗忽を棚に上げて、釘を壁越しに打ち抜かれてとんだ災難の隣家の主人を、帰宅してから「隣のおやじ、そそっかしそうな野郎だ」と無理やり同類にしてしまうところもおもしろい。
枝雀噺の主人公は、ところどころに奥さん思いの言葉が。たとえば、「足元気ぃ付けよ足元、お前ひとりの体じゃないぞ」、「夫婦(みょーと)の間にわたいもお前もあるか。…(中略)…一心同体ということを思いなさい、ご互いが分身です、お前もわしもない」など(ところが、荷物を運び出そうにも持ち上がらず、針刺しを下ろしてもらったときは、「針刺しやみな、おまえのもんならお前が持って行け!…(中略)…『お前はお前、俺は俺』じゃ」と前言翻すのですが)。
お人好しの度合と子どものような好奇心が並外れている所為で、時に周囲が見えなくなることが、そそっかしさ(やはりマメなタイプ?)につながっているみたいです。
どちらの噺家が描く主人公も、粗忽で失敗ばかりしているのに、なぜか奥さんにもおそらく愛されている(矛盾するようですが、大して役に立たなくとも心のどこかで頼りにされている)男なんだろうなと思いました。