火焔太鼓(その2)

汚い太鼓になんと300両の値が。今のお金でいくらくらいというのは社会の仕組みが根本的に違うだけに試算不能みたいですが、おそらく1000万円は下らないお宝だったと思われます。
懐を小判でふくらまして帰って来た亭主の話を「あんな埃まみれの古太鼓が」と端から信じない奥さんも、50両ずつ金包みを出して積んで見せると、(以下、『志ん朝の落語5』(ちくま文庫)より)「まあ、ちょいとお前さん、ほんと?」(50両)→「まあー、ええ?どうしよう」(100両)→「ンまあ、お前さんは商売が上手」(200両)→「まーあ、やっぱり古いものァいいね」(250両)と変わっていきます。ライブだとここが一つの聴きどころですね。
物を買うときの気持ちの動きを段階を踏んで見ると、AIDMAの順になるという古くからの説があります。名器の火焔太鼓お買い上げの大名で確かめると、まず小僧さんが思わず鳴らした太鼓の音に気づき(Attention〔注意〕)→興味を持ち(Interest〔関心〕)→欲しいと思い(Desire〔欲望〕)、早速買う(Action〔行動〕)となってM(Memory〔記憶〕)が抜けています。お殿様ともなると決断が速いからでしょうか。
最近は、この法則を修正した㈱電通登録商標AISASというのもあり、AIと一文字飛ばしたA(Action)は同じで、途中のS(Search〔検索〕)と最後のS(Share〔共有〕)が違います。ネットでの買い物だと、なるほど検索して、よいと思ったら買うの流れになりそうですが、それを人に知らせるかどうかは不明。広告会社だからSを末尾にもう一つくっつけたのはありうべし。
個人的には、AIDMAはあまり感心しないのですが、AISASは、SとAの間(調べてからどうすればいいか決断して行動するまでのつなぎ)のサポート役の意義(親切な商店や、情報の渦に巻き込まれて戸惑っている人に助言をするサービスなど)を考えるヒントにはなりそうに思っています。
でもやっぱり、AIDMAもAISASも、無理やり感は否めません。AIDAとAISAでえーやんか!