長屋の花見(その1)


時期なので取り上げてみました。今年も東京近辺は満開のところへ春の嵐。このはかなさが桜の魅力なんでしょうか。それにしても、花の周りで(花を愛でる感じもさほど強くなくむしろ本題は)飲めや歌えや踊れやという風習は日本特有なのでしょうか。
外国でKIMONOやSAMURAIという商品名の長短の(爪)楊枝が店に並んでいたり、日本の輸出港の荷の中に「GEISHA」印の段ボールがあったり(何が入っていたのでしょうね。)という話を聞いたことがあります。総理が電撃辞任したときでさえ欧米の報道はかなり遅く、取扱いも小さめだったような。日本は他の国からどんな風に映っているのでしょう。
ところで、この噺はもともと上方の『貧乏長屋』が後に東京に取り入れられたはずですが、マーには、上方版、東京版とも違和感があります。両者の違いは概ね、花見のきっかけ(上方は長屋の連中の中で話がまとまるが、東京は大家さんの呼びかけによる。)、花見御一行の構成(上方は長屋総出で男女とも、東京は男のみ)と結末(上方は優雅な花見の集まりを身内同士の喧嘩を装って襲い、酒肴を乗っ取ってしまうが、東京は粗末な食べ物を賞味(?)するだけ)です。
違和感のもう一つは「酒なしで花見に出かける」ところ。上方版は花見の場で襲撃してまで酒を嗜むという聊か強引な手法だし、東京版は大家が持ちかけたのに安酒一つ提供せずお酒ならぬお茶けをいやいや飲み続ける展開になっています。
花見に携えるのも、水で薄めたお茶、ご飯のおこげ(かまぼこならぬ釜底)とおからに、卵焼きに見立てた沢庵だけでなんだか物淋しい。ここは私見ながら、貧乏仲間がそれぞれ無茶苦茶なやり方で美味しそうな酒のアテを集めて来る(ただし悲惨な結果に終わるのですが)『寄合酒』を使ってみたいところ。