薮入り

柳家小三治で何度か聞きました。
30歳過ぎたニート、フリーターが社会問題となっている今とは別世界、10歳になるとすぐ奉公に出された時代の話。
年に1月と7月の1日ずつ、たった2日だけあった休みに家に帰るのが薮入り。
初めての薮入りで帰ってくる息子を待ちわびる父親像がよく描かれています。前夜床に入ってからも落ち着かず、…(以下、『柳家小三治の落語2』(小学館文庫)より抜粋)
「(息子を3年前、10歳のときに奉公に出したのを確かめた直後に)そうそう、そうそう。十だったなあ。(今)いくつんなったかなあ」
「刺身、食わしてやりてえなあ。……中とろのいいところをよう、二人前とれよ。おれもお相伴するから。刺身でおまんま食わしたらなあ。そうだ、鰻屋へ連れてって、……中串のいいとこなあ、たっぷり食わしたろうじゃねえか。鰻で腹いっぺぇになったら、天ぷら屋へ連れてってやろうかなあ。……揚げたてじゃなくちゃな、天ぷらは。衣がかりかりっつってよう。そのあと寿司屋だなあ。そして腹いっぱいになったら、あとは甘味だ」
「どこへ連れてってやろうかなあ。品川の兄貴んとこ行って、……そうだ、川崎の大師様、お参りに連れてってやろうかなあ。……そうそう、そうそう。日光見せて、結構って言わしてやろうかなあ。……あすこまで足延ばしたんならなあ、ついでだ、松島、見物さしてやろうかなあ。それからぐるっと回って、南部の恐山からよぅ、佐渡島へ」【奥さんに「何言ってんの、この人は。いつ連れてくの」と問われて】「んん…明日中に」
【「ああしてやりたい」、「こうしてやろう」と独り言を呟いているうちに午前3時になってしまいますが、まもなく会えるとそわそわしているので】「3時回ったのか。何かこう、時計の回りが遅いんじゃねえか。おい。(少しは寝かしてちょうだいという奥さんに)おい、ちょっと立ち上がって、ぐるぐるっと回せ」


この後、物言い・態度をきっちり奉公先でしつけられた息子と再会しますが、月単位で見違えるように成長する10歳過ぎの子どもと久々に会う感動はおそらく、現代、成人した子が大学や会社から帰省するのとは比べものにならないでしょう。
大店の大勢の目上の人たちと寝食をともにし、毎日ルールどおりに働かされる子に多くても年2回だけしか会えない親と、年中同じ家にいながら日にわずかな時間しか顔を合わせない親(我が家はせめてもの思いから、子ども部屋のカギは予め取り外してありますが)と、どちらが子どもの成長に敏感で、子どもにとって身近な存在か、問いかけられている気がするほどです。
マーにとっては、笑えると同時に目の前のことをふと考えさせられる、軽い余韻の残る噺です。