手水廻し(その1)

貝野村(海野村)の別名もある噺。
あらすじはごく単純で、田舎の商売熱心な旅館の主人と板前が、大阪から来た宿泊客の「ここへ手水(ちょうず)廻してくれますかな」(部屋に洗面の水を持ってきてくれませんか)という注文の意味がわからず、博識とされる、寺の和尚に尋ねたが「ちょうずは長い頭の意」と出鱈目を教わって村一番の長い頭の男を呼んで来るなど頓珍漢なことをしたために、その逗留客が激怒し予定を早めて帰ってしまったのに懲り、実際に大阪の宿に泊り同じ注文をして確かめようとする他愛もない話。
ポイントは「知ったかぶりをすることの愚かしさ・滑稽さ」でしょうか。朝のワイドショーでは、各界で活躍する有識者の方々がコメンテーターとして出演しますが、自分の専門外のことでも物知り顔に得々と語る人がいるのにやや引っ掛かりを感じます。その長い話を聞いてもさっぱり要領を得ないことも。「わからないことはわからない」ではテレビ映えがしないのかもしれませんが、「この件は〜という印象を持ちますが、正直何が正解かわかりません」くらい言ってくれるとマーはむしろ好印象を抱くのですが。やはりプライドが許さないのでしょうか。
地元ずくねん寺の和尚は物知りという評判に関わるのか、知りもしないのに嘘の解釈をしてしまうし、主人も大阪の旅館で謙虚に「ちょうずとは何ですか」と尋ねればよいものを、知ったかぶりで「手水廻してくださらんかな」と仲居さんを呼んで、出て来た洗面・手洗いの水を、薬味と勘違いした歯磨き粉を溶かし込んで飲み干そうとすることでエライことになる。ひょっとしたら、本当の意味不明のまま「大阪人の習慣はさっぱりわからない」で村に戻ることになりかねません。