愛宕山(その1)

お花見情報が本格化してきたので、取りあえずブログデザインもそれらしく替えてみました。春先の噺というと愛宕山なぞどうでしょう。
これは志ん朝さんの高座が耳に残っています。クライマックスは、土器(かわらけ)投げの土器の代わりに、若旦那が小判を投げ始めた時の幇間の反応で、谷間に落ちた小判を拾うなら「おまえにやる」と言われて本気になるあたり。
土器投げは目の前で行われているかのように生き生きと演じられます。現場の情景や雰囲気を浮かび上がらせる巧みな隠し味でしょうか。
小判がもらえるとなって、幇間が一瞬、若旦那への諂いから脱して、奥深い谷底に落ちた小判(獲物)に辿り着くことだけにひたむきな猟師のような人物に変身(もっとも、背中を一押しされなかったら、恐怖で飛び降りることができなかったかもしれませんが)。
ここでおもしろいところは、あるものに集中するあまり、周辺や背景が見えなくなることです。ついに決死のダイビングを断行し、知恵を振り絞って谷底から帰還した幇間が、肝腎の小判を忘れたことに気づくあたりはペーソスすら感じられるほど。
集中力が高まるにつれて、注意を向ける対象以外の物が周辺に退いていくと、脆さ・うっかりにつながるリスクも大きくなります。落語の笑いの共通要素として、このあたりがあるように思っています。