『化け物使い』と『ひとり酒盛』(その1)

≪今日は、今月6日にオープンした丸の内・三菱一号館美術館http://mimt.jp/)のマネ展に行って来ました。赤レンガを設えたレトロ風の建物で館内からの景色も綺麗。ただ、展示作品、スペースいずれもこじんまりとしていて、混雑の中でゆったり観るゆとりに乏しく、入館料1500円はやや高だったかな。≫


この二つの噺はセットで語られることは少ないのかもしれませんが、演ずる側の視点や「人使いが荒い」という点では、かなり近い中身だと思います。
仕事でも家事でもそうですが、人使いが荒いだけだと、相手は反感を感じたり避難するのが普通。『化け物使い』では奉公人(最後は化け狸)が次々と暇乞いをしますし、『ひとり酒盛り』では、宿替えの様子を見に来た幼馴染の友人を怒らせて帰してしまうように、いずれの主人公も人使いが上手いとは言えません。『化け物使い』では並外れて忍耐強く働き者の権助が「旦那さんの指示には無駄が多すぎる」ことを指摘します。
それでは、「人使いは荒いが結構使い方は上手い」ということは可能でしょうか。仕事や頼みごとの内容にもよりますが、あると思います(エロ詩吟の天津木村風になっちゃいましたが)。
これらの噺では、主人公に「自分が命令して人に世話をさせたい」とか「命令する自分が大切」という気持ちが強く、人使いそのものが快感となっている雰囲気があります。上手い下手なぞどうでもいい、自分さえ気分よければいい、思いやりのない我儘な主人公を嫌味をあまり出さずに演じるには、噺家に相当な実力が要りそうです。このような上司が職場にいても人望を得ることは難しく、指示を受けて楽しい人はいないでしょう。