長屋の花見(その2)


写真は、再来年完成予定のスカイツリー(既に東京タワーの高さを越えたとか。)と桜です。隅田川巡りの水上バスで両国・桜橋付近の景色を眺めて来ました。桜は満開、沿岸のどの桜並木も人・人・人。おそらく優れて日本らしい光景なのでしょう。
この落語の可笑しみに、冒頭、店賃を払わない長屋の面々の言い訳があります。「向こう三軒両隣が滞納してるのに自分だけ払うと浮世の義理に欠ける」、「家賃だけは払うなと親がいまわの際に遺言した」、「店賃を知らない」などなど。仕事をサボる人の言い分に置き換えてみても結構笑えます。
『田楽喰い』の出だしに、わずかな割り前が払えない言い訳(「財布を忘れた」、「財布はあるが中のお金を忘れたい」、「(懐に手を入れたので払うのかと思いきや)飲む準備でパッチの紐を緩めようとしただけ」など)が並びますが、店賃不払いをこれに置き換える手もありそう。
上等の着物でおめかしして花見に出かける人と、いつもポロ服を纏っている自らを比べて世を悲観する者に「心まで貧乏すなよ。(人間気の持ちよう次第で大違い。花見に木戸銭はいらぬ)気で気を養うということを知れ」(『桂米朝コレクションⅠ』(ちくま文庫)より)とあっさり短く諭す人がいるのもいい。
パッと咲いて(周りに集う人々に春の到来を目で実感させたり浮かれ気分にしたりしてから)パッと散る桜のように、明るく屈託のないところがこのお噺の魅力ではないでしょうか。