はてなの茶碗&井戸の茶碗(その1)

この2つの噺は、大変な値のついた茶碗つながり以外にあまり共通点はありません。
はてな」では、何の変哲もない素焼の茶碗を日本一の道具屋、茶金さんが清水寺茶店で休憩しているときに不思議そうに茶碗をながめたことがきっかけで大事になるのに対して、「井戸」は浪人侍が二十両と引き換えに日頃使っている古茶碗を差し出したところ、これが伝説の名器と分かり細川公が三百両で買い上げて大騒ぎに。
片や日用品に関白の歌や帝の箱書きが加わって鴻池に千両の値がつき、もう一方はもともとの名品がみすぼらしい家でそれとは知らず日々使われていたという、茶碗そのものに歴然とした違いがあります。
はてな」の面白さの一つは、有名な目利きの一挙手一投足にとらわれるあまり、どこにも故障が見当たらないのに水が漏る不思議な素焼茶碗を、名品と勘違いするところでしょう。
「茶金さんほどの人が気に掛ける茶碗は絶対高く売れる」という思い込みで、目撃した油屋が茶店に二両を置いて、奪うように安物の茶碗を持って帰るところから噺が始まります。
有名人や肩書のある人の言動を鵜呑みにして持てはやしたり、その意味を拡大解釈したりして、影の面に目を向けることなく無批判に評価し受け入れることをハロー効果(the halo effect)と呼びますが、これもその一例でしょう。
ある本は、以前取り上げた認知不協和の理論でこの効果を説明しています。
人間や会社など評価の対象が、いい面も悪い面も持ち合わせているとこれらは相互に不協和な関係にあるため、どちらか一方に評価を揃えよう(いい全体印象としたいなら、悪い要素は無理にでも長所を見つけてどちらかというと、いい方に転換してしまう(悪い全体印象とする場合はその逆))とするとの理屈。
そういえば、何かを礼賛するかバッシングするか二分法の報道が最近目立つ気がします。