百年目(その1)

桂米朝が特に大切にしている噺。「私は「どの落語が一番むつかしいと思うかと聞かれると、「まあ、百年目です」と答えます」(『上方落語 桂米朝コレクション?』(筑摩書房))とあるほど。独演会を辞めた理由の一つもこの噺を演じて納得できなかったのが一因だそう。「枝雀がいてくれたら・・・」と米朝師匠が涙していたのを思い出します。
出処進退を決断するときの演目を決めている落語家は少なくないようで、最近では三遊亭円楽の「芝浜」があるし、笑福亭松鶴は一線を退いて滑舌(この「かつぜつ」という言葉は古めの辞書にはあまり載っていないそうですね。)が悪くなってから来客があるたび「らくだ」(あるいは「一人酒盛?」)の全盛期のテープを聞かせて「こんなふうに話せたら・・・」と無念がっていたとのこと。
この噺の展開は、(1)大店を仕切っている堅物の番頭が丁稚衆に小言を言いまくる⇒(2)その番頭が変身!屋形船を誂えて大勢で花見に繰り出す途上⇒(3)乗船してから気分も乗り派手に遊び出したところで、友人の医者と静かに花見をしていた親旦那と鉢合わせ⇒(4)「えらいことした」と這う這うの体で店に帰った番頭と親旦那とのやり取りへと続きます。
(1)から(2)への番頭の変貌、(3)のテンポの速い賑やかさの絶頂と(4)の二人だけの間の静かな対話(親旦那のお説教)との落差など、なるほどこれらを演じ分けることができるのは名人の域。
この噺を聞いた後の感じもしんみりしていながら一般の人情話とは異なり、番頭の言葉遣いや後半の狼狽ぶりのところをつい思い出し笑いしてしまいます。