お客様は神様(?)(その1)

最近、ビジネスの世界で「顧客志向」という言葉を割と目にします。
商店のみならず、「お客様の目線に立って」とか現に、お客様という言葉を用いて対応(接客)する試みも珍しくなくなってきたようです。


でも、これは功罪相半ばかもしれません。ケースバイケースではありますが。
これで、社員の意識が変わり、サービス向上に役立った例はあるでしょう。
一方で、「お客様」が横柄になってクレーム多発という例もあるようです。
なぜなら、これまでのサービスの不備について、ただの「お客さん」が「お客様」に変わると要求水準が上がり、これまで「そんなものか」で済まされていたことが、「けしからん」になりかねないからです。


また、サービスを提供する側の気持ちの問題もあるでしょう。
いつもと同じ仕事で同じ待遇なのに、「明日から謙虚に誠心誠意〜〜しなさい」と言われても、「お客様」は心にもない社交辞令に過ぎず、その本音が相手に見透かされる(余計にクレームネタを増やす)ということはありそうなことです。


気のせいかもしれませんが、「市場原理主義」(「市場は誤らない」という考え方)が力を持つに連れて、このような「お客様の望むとおりやっていれば間違いない」という声が勢いを増したような気もします。
もっとも、三波春夫さんの「お客様は神様」を思えば人口に膾炙していた言葉ですが、あらゆる場面で「ユーザーに合わせましょう」という声が大きくなったのは割と最近のように思えます。

再びコミュニケーション能力について(その2)

コミュニケーションが説得や納得を伴う交渉場面に行われることもあるでしょう。
「相手を知る」ということが大切になります。
もっとも、出会い頭や行きずりのコミュニケーションもあり、こちらの方がより面白そうですが、研究も比較的少ないようで今後の研究(?)課題としたいと思います。
「相手を知る」ためには、ビジネス場面では、あらかじめ接触する先方の基本的属性を、事前勉強したうえで接すれば、円滑な対話の一助となります。


コミュニケーション場面を交渉の一種ととらえた場合、大体5とおりあるといわれています。
勝ち負けだけでいえば、『勝利』(当方の要求を押し通す)と『敗北』(相手の要求をのむ)があり、このほかに『妥協』(双方が譲歩)、『回避』(とにかく衝突を避ける)も想定されます。
残る一つは『協同』(双方が納得できるように、妥協するだけでなく新しい選択肢を考え出す)(以上、今井芳昭著『影響力』(光文社新書)を参照)。
日常場面における多くのコミュニケーションの目標は、この『協同』と思われます。


また、「相手方の正しい理解を促す」手法の例として、「反駁付き両面提示」、「社会的証明(Social Proof)」などがあります。
前者は、当方の言い分に対して納得していない相手の反論や言い訳を受けて、それらのポイントを整理して具体的な反駁資料を示しながら再度説明(説得)するやり方です。
要点は、相手の言い分を一旦誠実に受け止めるところであり、ここで頭ごなしに事業主の意向を無視した振る舞いをすると心理的リアクタンスが生じ、「聞く耳を持たない」、交渉決裂などの態度の効果につながりかねません。
後者は、「あなただけに無理難題をお願いしているのでない」という趣旨を具体的でわかりやすい類似例を示しながら徐々に了解を求めていく手法です。


採用選考時に求められるコミュニケーション能力は、ここまで書いて来てもやはり明らかになりませんでしたが、「相手の気持ちを尊重しつつ、こちらの真意も理解してもらえるという難しい技への適性」くらいに定義しておけば、一応わかった気になりそうです。
ただ、この場合の「相手」によっては、公式の枠に収まらないところが、興味深いところですネ。  

再びコミュニケーション能力について(その1)

報道によると、新規大卒の就職はこれまでで最も厳しいようです。
内定の早期化の行き過ぎを指摘する向きもあります。
ところで、以前にも少し触れましたが、日本経団連の調査(『新卒採用に関するアンケート調査』)によると、選考時に重視する要素として7年連続「コミュニケーション能力」が第一位となっています。
メークして応募用の写真を撮るのが女子学生のみならず男子学生に広がっているのまで、コミュニケーション能力を意識しているとは思えませんが、自分らしさをアピールしたいのでしょうね。
ところで、求められるコミュニケーション能力とは何でしょうか。 


コミュニケーション(communication)を辞書(Cambridge Advanced Learner’s Dictionary)で引いてみると、”to talk about your thoughts and feelings, and help other people to understand them ”(あなたの考えや感情について語り、他人がそれらを理解できるようにすること)とあるように、相手の方にこちらの主張をわかってもらうことが第一歩となるようです。


コミュニケーションには、隣の同僚から得意先等の見知らぬエライ人まで相手に幅があるし、どういった相手とのコミュニケーション能力が問われているのか、上の調査では必ずしもはっきりしません。
問題意識や、コミュニケーションの場面によっても大違いでしょうが、先方とのコミュニケーションを重ねる(場数を踏む)ことによってはじめて、説得力や交渉力を高め、相手方の理解や納得につながる姿勢や対話能力を体得することができると思います(習うより慣れよ)。


素朴ながら、『単純接触効果』という理論があります。
接触回数を増やせば相手に対する魅力が高まるというもの。
日頃ほとんど会話や付き合いのない人に突然働きかけても、多くの場合、こちらの期待を越えて対応してくれることは望み薄でしょう。
日常的にコミュニケーションを図る相手との連絡を密にしておくことがコミュニケーション円滑化の第一歩といえそうです。


また、先方の話題に努めて関心を持ち、対話の共通基盤づくりを図ることが必要と思われます。
関心の乏しい相手に胸襟を開く人はほとんどいないでしょうから(マーは20年ほど前、中小企業の経営者の方にヒアリングをする機会がかなりありましたが、当時「戦争」、「ゴルフ」、「犬」のいずれかに話題を持っていくと向こうから生き生きとした思い出話や最近のエピソードが披露され、その場が和んだ経験があります)。

試験について(その3)

センター試験に時期を合わせたはずもありませんが奇しくも、14日付けの米科学誌サイエンスにシカゴ大学の研究成果が発表されたそうです(YOMIURI ONLINE参照)。


数学のテスト前に緊張感を高めると普段より成績が下がる中で、テスト直前にテストへの不安な気持ちを率直な作文に綴ったグループでは成績が向上。
不安な気持ちはありのまま「怖い」、「間違えそうだ」などの表現で表されたそうです。


研究発表では、「書くことで心の傷が癒される心理療法」との関連が指摘されたとのことですが、「なぜ?」を想像してみると面白い。


まず、人前で発表、演技、演奏などする前に練習(コントや漫才なら「ネタ合わせ」)をするのに似た効果が考えられます。
記憶の課題なら事前の繰り返し(リハーサル)に相当します。
テスト場面で「あがる」ことをある程度事前に疑似体験したことが、パニックにならずに済む免疫(ワクチン)のような役割を果たしたのかも。


あるいは、「一息つく」効果もありそうです。
数学のテストの難易度がわかりませんが、難しめの課題は、中程度のあがり(覚醒)のときにパフォーマンスがよいとされている(ヤーキーズ=ドッドソンの法則による)ので、不安な気持ちを事前に綴ることがテスト場面で適度な緊張感をもたらした可能性あり。


もう一つは、テストに取り組む方略の中で、間違えそうな厄介な問題の存在が浮かんだことでは。
前回のマーの研究結果でも、テスト不安の低い人は問題を解く段取り上手の人が多い印象がありました。
事前にテストについて綴ることで、作戦を立てる雰囲気が自然と生じたのかもしれません。


こうして考えてみたところで、結局「なぜ?」の模範解答はわからず仕舞でしたが、想像を巡らせてみるのも悪くなかったような気がします。
それにしても試験について語り出すと広がりが出るものです。
いつか改めて取り上げてみたいと思います。

試験について(その2)

試験問題には、通常、難易度の違いがあります。
最初に難しい問題から始まるテストとやさしい問題から徐々に難しくなっていくテストとどちらが取組みやすいでしょうか。


人の性格にもよるのですが、テストで緊張しやすい人は、まず難しい問題を見て、一種のパニックになることがあります。
ちゃらんぽらんな人なら、最初の問題が難しければそれを飛ばして次の問題に取りかかりそうなものですが、そういった臨機応変が苦手で一番の問題から順々に考える向きの人もいます。
また、難しさの度合いが大きいと、なおパニックになりやすい人も。
問題の難易度の程度とそれらの配列によっては同じテストでも成績が大きく上下する場合があるようなのです。


となると、出題者には、難易差のある問題からなるテストを作成する場合は、最初に一番難しい問題を置かず、適当にバランスを取り、できれば最初にやさしめの問題を持って来るような配慮を望みたいところです。
また、一方、解答する側の自衛手段としては、テスト問題はざっと全体を見渡してやさしそうな問題から解いていく、難しい問題は限られたテスト時間の中では、後回しにするなど工夫を心がけるなどがありそうです。


もっとも、勉強不足で全問難問にみえる人にとっては、工夫の余地は著しく少なくなってしまいますが…。


センター試験は難問・奇問の類を極力少なくするよう配慮されているとのことですが、年によっては事後的に科目間の得点調整をすることもあるようです。プロが問題作成しても結果の見通しを誤る場合が稀にあることの証でしょう。
また、比較的難しい問題が、テストの中のどの位置に設定されるかによって結果が左右される人のいることにも細心の注意を払ってほしいなと願っています。


マーが学生時代に試みた研究の一部でした。後に続く研究を見たことはありません。自覚は乏しいのですが、変わった学生だったのかなぁ。

試験について(その1)

大学入試センター試験間近。我が家にも受験生が一匹いますが、「参加することに意義あり」の一人です。


詳しくは知りませんが、大学受験のパターンも複雑化しています。
センター試験の結果を反映する大学が結構ある(私立大学の参加は500校近く))からでしょうか、あるいは、「個性ある学生」を求め、進んで同じ学部・学科でも複数以上の受験方式を組み込んでいるのでしょうか。


賛否あると思いますが、試験はシンプルな方がよさそうな気がします。
科目があまり入り組んでいると受験生の準備も大変だし、基礎学力をみるだけなら、必須科目と少数の選択科目を加えて相応しい問題作成を大学独自で行うことはさほど難しくないはずでしょうから。
センター試験の趣旨は基礎的な学習の達成の程度の見極めですから本来はセンター試験を借りない各大学独自試験か、逆にセンター試験でその学校の入試を代替するかいずれかに割り切れば、現在のような複雑な試験制度も幾分すっきりするかもしれません。


センター試験は、マークシート式で、英語にはリスニングの試験(全員に使い捨てのICプレーヤーが配布される)もあるそう。
受験応募者が55万8984人というからまさに全国で実施される一大イベントの観。実施コストも莫大でしょうネ。


ところで、試験問題の構成次第で結果が変わり得ることもあるみたいです。続きは次回。

米揚げ笊(その2)

時代劇は専ら『水戸黄門』のマーです。『米揚げ笊』の後半は枝雀に語ってもらうことにします。
《以下、主にHP『特選上方落語覚書』1981/11/22 枝雀寄席(ABC)(1981.11.22)より引用》


■いま表で大きな声がしてるが、あら何じゃ?
▲笊屋が米揚げ笊を売りにまいっとります
■米、揚げ、笊、とは気に入ったやないか。呼んで買ぉてやれ
▲かしこまりました。お〜い、笊屋ぁ〜、戻っといでぇ〜戻っといでぇ〜!
と、普通なら招きますが。招くと手の先が下がる、これが気に入らん「お〜い、笊屋ぁ〜、戻っといでぇ〜」堂島のすくい上げっちゅうて、すくい上げとぉる。




●米を揚げる米揚げいか〜〜き
▲さぁ、その声が気に入って、旦さんが買ぉてやろぉとおっしゃる……、暖簾が邪魔なら外してやろか
●アホらしもない、暖簾を頭で上げて入る
■上げて入りよったがな番頭どん、嬉しぃやっちゃなみな買ぉてやるぞ。




●みな買ぉてもらいましたら、お家へ放ぉり上げる
■わっ! 放ぉり上げよった。嬉しぃやっちゃ気に入った。財布をもっといで、さぁ笊屋、嬉しぃやっちゃ一枚やるぞ。




●こんなんもらいましたら、飛び上がるほど嬉しぃ
■飛び上がる、もぉ一枚やろ
●二枚ももらいましたら、浮かび上がります
■浮かび上がる、財布ぐちやろ。お金は大事にせないかんぞ。




●大事にいたしませぇでかいな、神棚へ上げて拝み上げとります
■拝み上げてる、着物三枚ほどこしらえたげたってんかこの男に、嬉しぃ男やでホンマに。で、お前兄弟はあんのか?
●上ばっかりで
■上ばっかり、米五斗ほど運んでやんなはれ。嬉しぃ男やなぁ、兄さんはどこに居てんねん?




●淀川の上の京都でおます
■淀川の上、っちゅうのが気に入ったやないかいな、借家十軒ほどやってくれこの男に、嬉しぃ男やで、兄さんどんな男や?
●高田屋高助と申しまして、背ぇの高ぁい、鼻の高ぁい、偉高い、気高ぁい男でおます
■須磨の別荘やってんか、嬉しぃ男やなぁ、姉さんはどこに居てんねん?




●上町の上汐町の上田屋上右衛門といぅ紙屋の上(かみ)の女中をいたしております
■たまらんなぁ、大阪のお城と、梅田のステンショやってくれ……




▲そんなアホなことをおっしゃる……、旦さん何をおっしゃんねん、そんな無茶なこと言ぅてもろたら困りまっせ。そぉ何でもかんでも上げてしもたら、うちの身上(しんしょ)が潰れてしまいまんがな。
●アホらしもない、潰れるよぉな品もんと(ポンポン)品もんが違います。


《最後のサゲは、実は笊屋重兵衛さんに次のように教えてもらったとおり。タイミングが偶然、絶妙だったわけです。》
▲はじめから品数が多いとややこしぃ。
大間目(まめ)、中間目、小間目に米を揚げる米揚げ笊と、この四通りにしておます。
何でこぉして売りに行てもらいますかと申しますと、二八(にっぱち)と申しまして二月と八月に切った竹はどぉといぅことはないんですが、あいだに切った竹は虫がついて粉を吹きます。




▲使い込んでもらうとどぉといぅことはないんですが、やっぱり買いなはる時、皆さん方嫌がりなさる。うちで売るわけにいかん、こぉしてあんさんに売りに行てもらいます。売ってもらいます時にちょっとコツがおましてな笊をば二ぁつでも三つでも重ねてもらいます。上から(ポンポン)と叩いてもらう。
▲「叩いてもつぶれるよぉな品もんと品もんが違います」「強いねんなぁ、丈夫やねんなぁ……」なかなかそぉやおません。叩いて粉ぉを下へみな落してしまいます。これが商売の駆け引き、コツですなぁ。




ぼんやりフリーターの(野球でいえば)ポテンヒットといったところでしょうか。
それにしても、財布に米、別荘その他は結局もらえたんだろうか。
「くれてやる」という申込に対して「もらいます」というはっきりした承諾がなかったから、民法上の契約は不成立なのかなぁ。