米揚げ笊(その1)

お正月に相応しい(?)縁起かつぎの噺から。
新年は特にゲンを気にする人がよくいますが、この「ゲン」は「縁起(エンギ)」をひっくり返してギエン⇒ゲンとなったもののようです。
ギョーカイの方は、六本木を「ギロッポン」と呼んで気取るそうですが、発想には近いものがありますネ。


落語によく出て来る「ぼんやり遊んでいる若者」に親切な先輩が世話をしたのが、笊(いかき=ざる)の売り子の仕事。
住んでいる丼池(「どぶいけ」と読みます。)から天満の源蔵町の笊屋重兵衛さんに紹介してもらい、相場師の街堂島へふらふらと売りに出る行程は、今なら電車で20分ほどですが、当時は徒歩だけに結構な距離だったことでしょう。
なお、丼池から天満に行くまで、奥さんが産気づいている人をつかまえてつまらないことを尋ねたりする前半部分は、上方落語では『池田の猪買い』とほぼ同じのことが多く、寄席で演目が並んだ場合は、どちらかの道案内部分を省略するようです。


このアルバイターは、自分なりに編み出したいい加減な売り文句を並べて声だけは威勢よく、朝の堂島を通りかかります。
強気一辺倒派も慎重派もいる米相場師たちですが、朝の占い(現代のTVでもよくやっていますネ。あの星座や名字による大雑把な『今日の運勢』で一喜一憂する人も結珍しくないそうです。そういえば、10年ほど前、次男が自分の星座の運勢が全体のワーストだったりすると、「きょーお、保育園行かなーい!」と駄々をこねていて手こずったのを最近のことのように思い出します。)や身の回りのことには神経質になっていたそうです。


強気派の米相場師は当然、昇る、上がる方向の言葉をゲンがいいと喜びます。
奉公人が主人に呼ばれてお辞儀をすると頭が下がるので叱られ、呼ばれると逆にそっくり返って返事をさせるような、飛切り強気の店へ「米を揚げる、米揚笊」の掛け声が入ってきたからさぁ大変!

あけましておめでとうございます

新年のご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした。
実は、デザインを更新した途端、ブログを更新するページへの跳び方がわからなくなってしまい、お手上げの状況で3が日を過ごしていた次第です。
プロの方ならずとも常識的なPCユーザーの方なら誰も悩まない程度の初歩的なミスでした。


このブログを始めたのが、昨年の1月末。無精者のマーが約1年間綴って来ることができたのは、応援団のコメンテーターの皆さんのお蔭によるところが大きいです。「双方向ブログ」と評する方もいるくらい、つまらないお題でも全国各地の名シェフが料理してくださるので、随分気楽にパソコンに向かうことができます。
このところ更新回数が減り、テーマも落語周辺のものに特化しつつありますが、書いてみたいことはまだまだたくさんあります。


今年はうさぎ年。小刻みに飛躍を重ねていくうちにささやかでも新たな可能性を見出すことができればと祈っています。
ひょっとしたら、自分でも気づいていない何かが、閲覧者の方からのひとことや綴るという過程そのものの中から芽吹いたりするのかも。
装いや構成を見直すなど試行錯誤もぜひ楽しみながらやってみたいと思っています。


様々な角度からの愉快で時には鋭いコメントが私の書き物に寄り添ってくれている、おそらく珍しいこの雰囲気でこれからも更新していくことができれば幸せです。
引き続きこのぼんやりブログに、どうぞよろしくお付き合いくださいますよう。


二番煎じ(その2)

2の組を送り出すと、世話役は番小屋の戸締りを命じ、徐に月番に娘が持たしてくれたという瓢箪に入れた酒を回し飲みしようと提案。
ところが、頭の固い月番は「お役人に見つかったらどうなる!あなたは諌める立場にある先生役でしょう」と固辞し瓢箪を没収、
と思いきや、お茶が入っていた土瓶を空けて瓢箪から酒を映し、竈で燗を始めます。
理屈も揮っていて、瓢箪から出る酒でなく「土瓶から出る煎じ薬」と言い張る算段。


そこへ人のよい惣助さんが、猪鍋の材料を持参していることを打ち明けます。肝腎の鍋がないと周りが心配すると、背中に背負ってきたとのこと。


酒と猪鍋でご機嫌になってきた1の組の面々。番頭以下小僧まで流行風邪で渋々火の用心に参加したはず、の伊勢屋の旦那も次のように語り始めます。
「…さっき外があんまりその、寒かったもんですから、火にあたったでしょ、こう、火照ってました。ええ。そこへこの酒が入ったんで、パアーッと…、もう、たいそう暖かくなりましたよ、ええ。ありがたいですなァ、じわっときてます、ええ、どうも、へっへっへっへっ、どうもっへっへ。ええ、こういうことがあるんでしたらねえ、ええ、番頭は寄越しませんよ。もーう、あしたっからあたくとが毎晩出てまいります。ええ。えー、あしたはこれで寄せ鍋かなんか…」


さっきまで外で「火のよォォーゥゥじィんーーー、さっしゃアーりやしォォーーう!」と吉原仕込みの名調子を披露した辰つァん、今度は都々逸で「ええーエ さわぐ 鴉(からす)ゥにイ 石ィィーィイ投げつけりゃーァ、それでェェーェェおてェらのォォォ鐘が鳴るゥゥゥ」と唄う(これも文字では不十分なので、志ん朝師匠の喉をお確かめください)始末。


ここでお役人登場(1の組一同、狼狽)。
「今、拙者が入ってまいった折に、なにか、土瓶のようなものをしまったな。あれは何だ」
(「…ああ…、あれはなんでございます、このオ…、惣助さんが…」)
「うむ。拙者が『番』と申したら『シッ』、『番、番』と申したら『シッシッ』と申した。あれは何だ」
(「え…、あれはあのオ、この、(答えにつまって)惣助さん…」)
お人好しはこういうピンチの時、ひどい目に会う確率が高そうです。


結局、月番が腹を据えて、煎じ薬(酒)、煎じ薬の口直し(猪鍋)をお役人に提供。
案に相違して、風邪気味だったらしい(?)お役人もご機嫌(←寒空の中、何か楽しみでもないとやってられない割の悪い仕事だったのかもしれません)。
「よい煎じ薬じゃ」
「口直しがよいと、煎じ薬も進むのう、うーむ。いま一杯もらいたい」


せっかくの美酒をお役人に飲み干されては大変と、「煎じ薬が切れまして」と報告すると、「二番を煎じておけ」と命じられてのオチ。

(主に『志ん朝の落語6』(ちくま文庫)より引用)


これといった事件も何も起きない話ながら、どうせならこんな火廻りの方が愉快だろうにという夢を描いて見せた作品のようにも思えます。
もっとも、度が過ぎると番屋が真っ先に火事になっちゃうかもしれませんけれど。


二番煎じ(その1)

《このところ落語という古い題材を専ら取り扱っていますが、新しいお笑いという点では、12月26日(日)に放映された『M-1グランプリ』は見応えがありました。参加漫才師4835組の頂点に立ったのが「ダブルボケ」の『笑い飯』。正確に言うボケとツッコミがコンビの間で入れ替わるのですが、さらに今回決勝初進出の『スリムクラブ』はボケに対するツッコミが一風変わっていて受容や諭しの類(TVでは(静かな)「説得」と称していました。)で新鮮でした。ボケと説得の漫才は、コンビが互いの顔を見つめ合い絶妙の間を取りながら語りあっていくという、最近の漫才の主流とは打って変わった、ゆったりしたリズムとテンポで展開されましたが、得も言われぬ可笑しみを醸し出していました。やはり笑いの仕掛けは絶えず進化し得るものだと思います。》


ところで、この噺は時期的に、記録的な寒波到来の今がピッタリです。
志ん朝のCDを何回か聴いていますが、名人芸の雰囲気が漂います。
江戸名物といわれる火事に備えて「火の用心」を町内から一軒一人ずつ出して自警団を組織し、防災活動の確認に役人が一人ずつ付いていた頃の話。
自警団の世話役のある商家の旦那が見廻り班を2組に分けて、片方が見廻りをしている間は他方は番小屋で休むという、疲労予防の名案を出して了承されます。


言い出しっぺとして提案した旦那の班は先発隊で見廻り。
鳴り物の鳴子、拍子木、金棒、寒さのあまり、みんな懐や袂の中に手を入れているため、それらしい音が出ません。
それならと『火の用心、火の廻り』だけでもしっかり発声してもらおうと指名すると、「火の用心はいかがですな」と売り子口調になったり、謡や清元の妙な抑揚がついたりして散々。
唯一、吉原の鳶頭(かしら)の世話になっていたときに火の廻りをやったことがある辰つァんだけが朗々とそれらしい喉を披露してくれます(これは文字では表現不能、ライブか録音に委ねます。)が、調子に乗って声が北
風に震える音「ホゥホゥホゥホゥ」を余分に付けたりして恰好がつきません。


そうこうしているうちに番小屋にこの一の組が帰還するのですが、むしろここからが噺の本題になります。

崇徳院(その2)

熊さんが、「瀬をはやみ〜」の書きつけ以外手がかりのない先方のお嬢さんを見つける手立てがないと言いかけた際の、親旦那の命令が強烈です。
■「分からん」といぅたかて日本人やろ?
▲そら、日本人でんがな
■日本人なら、これから行って大阪中探しなはれ。大阪探して分からなんだら京都行って、京都探して分からなんだら名古屋、浜松、静岡、横浜、東京。今は日本国中、縦横(たっちょこ)十文字に道が付いたぁんねん。


首尾よく先方のお嬢さんを見つけたら借金棒引きにするばかりか十分な御礼もすると言われて、熊さんを叱咤激励するしっかり者の奥さんの言いぶりもそっくり!
●分からんと言ぅたかて、日本人やろ?
▲おんなじよぉに言ぃやがんねん……、決まってるわい
●日本人なら大阪中探しなはれ。大阪探して分からなんだら神戸行て、神戸で分からなんだら姫路行て、岡山、広島、下関から九州ズ〜ッと回っといなはれ!


親バカの旦那は熊さんにわずかの時間も与えず、お嬢さん探しを命じます。
■家へ帰って支度? そんなことしてる場合やない、せがれ、あんなりほっといたら五日があかん。腹が減ってるか? あぁ、そらどんならん。これこれ、熊五郎がお腹が空いてるで、ちょっとご飯の支度をしてやっとぉくれ。お膳も何も要らん、お櫃なりこっち持っといで、お櫃なり。
■おかずも何も要るかいな、タクアンを一本洗いなはれ、切らいでもえぇ。お清、ちょっとそのタスキをはずせタスキを……、タスキでな、このお櫃をこぉいぅ具合にくくってな、熊はんこれを首から掛けなはれ。えぇか、必ず茶店なんか入って飯食ぅことならんぞ、道歩いてて腹が減ったら、それ手づかみで食ぅてタクワンかじって探して来んねん、えぇか。
■ワラジの紐が切れかけてるやないか、そらどんならん。これこれ、ワラジ二足こっちかし……。これをこぉ結び付けたげるさかい、切れたらじきに履き替えて行くねんで。もっと尻からげを高こぉして、さッ、行っといなはれ!


ワラジについては、奥さんの方が徹底的。
●今は日本国中、縦横(たっちょこ)十文字に道が付いたぁんねん。ワラジが二足? そんなもん足るかいな。ここに十足有る、これくくりつけたげる、早いこと行っといなはれ!
▲おんなじよぉにすな、お前までが……


お櫃と沢庵、さらにはワラジ十足余りを巻きつけた奇妙な格好で熊さんは人探しに明け暮れますが、ただ歩き回るばかりで手がかりすらつかめず一旦戻って来てしまいます。親旦那はさらに借家5軒(大家になれる)+三百円の報奨金を提示。
好条件を聞いた奥さんは、このままでは埒の明かない旦那に、繁盛している床屋や風呂屋などの人だかりで崇徳院の歌を朗じよと、大胆な助言。
まじめな熊さんはその忠告を忠実に守ります。
《さぁ、その日は床屋を十八軒に、風呂屋を二十六軒と回りまして、日が暮れになるともぉ目ぇも何もゴボ〜ッと落ち窪ましてもぉて……》
▲ご、め、ん
■また来たであの人、いや朝から四へん目やであの人……、何だんねん?
▲髭……
■髭て、あんたもぉ剃るとこも何もおまへんで
▲五分刈りにしてもろて、頭まで剃ってもろて、このへんヒリヒリ・ヒリヒリしてまんねん……
■何んしにおいなはったんや?
▲一服さしてもぉたら結構で
■あぁさよか、ほなまぁ一服して帰っとくなはれ。


▲えらい済んまへん……「せを〜〜はやみ」
■また始まった、朝から来てはあんなこと言ぅてまんねん。ちょっといかれてんのと違いまっかなぁ
▲はぁ、無理もないわい。


《ぼやいてるとこへ飛び込んで来ましたのが四十五、六の頭領風な男で……》
◆大将、ちょっと頼みたいんやがなぁ
▲親方……
◆あぁ混んでるやないかい。ちょっと急き前(せきまい)でなぁ、主家(おもや)の用事で走らんならんねや、虎はんえぇとこで会ぉた、ちょっとこれから大急ぎで走らんならん、ちょっと髭だけや、先代わってもらえまへんか?
◆万さん済んまへんなぁ、髭だけだんねん、ちょっと主家の用事で走らんならんねん、ちょっと入れたっとくなはれな、済んまへん済んまへん。もし、こっちのお方、見ず知らずのお方に申し訳ございまへんねやけどなぁ、髭だけだんねん、ちょっと先……
▲どぉぞ、何ぼでも先やっとくなはれ。もぉ剃るとこも何にもおまへんねん。ボチボチ植えてもらおかしらんと思て。
◆「植えてもらう」えらいオモロイ人やなぁ、ほな頼むで


■えらいまた、急ぐねやなぁ
◆さぁ、主家の用事で大急ぎやねん
■あぁ、主家といぅたら、向こぉの嬢はん、どんなあんばいや?
◆かわいそぉに、今日あすやと
■二十町界隈にないといぅ小町娘や、もぉ親旦那心配してはるやろなぁ
◆お父っつぁんもお母はんもなぁ、目ぇもなんにも真っ赤に泣きはらかしてしもて、ぼやいてばっかりや。何の因果でっちゅうて……
◆何でも二十二、三日前に下寺町でお茶の会があって、その帰り道、気の進まん人、お付きのもんが「いっぺんお参りしまひょ」ちゅうて高津さんへ連れて行ったら、それが因果やわい。絵馬堂の茶店で一服したところが、先からそこに座ってた人がな、どこの若旦那や知らんけども役者にもないよぉな綺麗な人やったんやそぉな。
◆うちの嬢さんかて年頃やわい、やっぱり「綺麗な人やなぁ」っちゅうて見てたちゅうねん。それ知らんもんやさかい、お付きのもんが「いにまひょ」と急きたてて行ったところが、やっぱり心が残ったぁったんやなぁ、緋塩瀬の茶帛紗が忘れたぁったんや。
◆また、その若旦那が親切な人でな「これ、あんたのと違いますか?」と、手ぇから手ぇへ渡されたときにはゾクゾクッと震えが来たそぉやわ、そらそやろなぁ。あんまり名残が惜しぃちゅうんで、また茶店へ戻って来て「料紙を出せ」サラサラッと歌を書いて渡して帰ったんや。
◆その歌の文句がな……、あの、百人一首にあるやろ崇徳院さんの「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」あれを書いて渡したなり、どっと床について頭が上がらん。


▲チョワ〜ッ!
◆な、何ちゅう声出すねん。な、何をしなはんねん、人の胸ぐらつかまえて?
▲チョ、チョワ〜ッ、おのれに会おとて艱難辛苦は幾ばくぞや、ここで会ぉたが優曇華(うどんげ)の、親の仇、尋常に勝負、勝負
◆何を言ぅねん、こら離せ、離しんかいな
▲離してたまるかい。その歌書いてもろていんだんは、わしとこの本家の若旦那や!


◆ギャイッ! こらえぇとこで会ぉたぞ、おのれに会おとて艱難辛苦
▲おんなじよぉに言ぅな。俺とこ来い
◆わしとこへ来い
▲おのれ連れていんだら、借家五軒に三百円……
◆そら何のこっちゃい?


《もみ合う弾みに花瓶がパ〜ンと飛びまして、前の鏡がパラパッチャンパッチャンパッチャン……》
■待った、待ったぁ、おい何をすんねんお前ら。今、話聞ぃてりゃ互いに尋ねる相手が知れてめでたいねやないかい、それを喧嘩せえでもえぇがな。うちの鏡、割ってしまいやがって、これどないしてくれんねん?
▲心配すな、崇徳院さんの下の句じゃ
■下の句とは?


▲割れても末に、買わんとぞ思う。
《以上、主にHP『特選上方落語覚書』米朝落語全集(MBS)(1992.1.17)より引用》

この噺は聴いているうちに、お人好しの熊さんに感情移入してしまい、「(神様、)何とか見つけさせたってや〜」といつしか応援団になっているというところが理屈を超えて好きです。


若旦那とお嬢さんがどうなったかって?まぁーどーでもええやん!


崇徳院(その1)

このところ、落語鑑賞ブログになりつつありますが、マーにとっては、落語をきっかけにあれこれつまらないことを綴るのが一番気楽みたいです。
今しばらくお気楽独り言にお付き合いくだされば幸いです。


この噺は上方発祥のようです。高津神社へのお参りがきっかけ。
もっとも、江戸落語では上野・寛永寺の清水観音堂(人形供養で有名だそう)に置き換えられることがしばしば。
HP『吟醸の館』(お酒情報満載)の中に「落語の舞台を歩く」というコーナー(出典明示すればリンクフリーとのことで重宝しそうです。)があり、
http://ginjo.fc2web.com/019sutokuin/sutokuin.htm
そこにも詳しい説明があります。


一方、本家大阪の高津さんは、この噺の他にも『高津の富』、『高倉狐』など落語と縁が深い神社です。
仁徳天皇をお祀りしています。蛇足ながら学生時代に覚えさせられた我が国最大の前方後円墳仁徳天皇陵は、今は試験の答案では『大仙古墳』と書かせることが多いのだとか。
高津宮では桂文枝一門の『くろもん寄席』がつい最近まで開かれていて、3代目文枝師匠の碑もあるそうです(5代目は桂三枝文珍らの師匠で、私のお気に入りの一人でした)。


崇徳院』の筋は至ってシンプルで、高津宮での出会い(相手がどこの誰かを確かめぬまま別れる)から揃って重い恋患いに伏せってしまった、大店の若旦那と令嬢の命を救うべく、先方探しに明け暮れる若旦那の幼馴染熊さんらの滑稽な奮闘を描いています。


小言幸兵衛&搗屋幸兵衛(その2)

出しかけたお茶、羊羹も引っ込めて、「せっかくだが貸せない」


理由は「長屋で心中が起こってはたまらない」
幸兵衛「…考えてごらんなさい。歳はァ20歳でしょ?ねえ?でェ、職人として腕がよくて、男っぷりがいいン、ねえ?ひとりもんなんだ。こんな物騒なものが越して来てごらんなさい。この近所には年頃の娘がいくらもいるんだ。危なくてしょうがない」


(ここで、貸家の向かいにある古着屋に19歳の綺麗な一人娘・お花がいて、このイケメンが裁縫を個人教授することになり、親が留守の日の誤ちでお花が仕立屋の倅の胤を宿すことになってしまうところまで幸兵衛は強引に勝手な話を進め、どちらも一人息子・一人娘であることから)
「お前さん(仕立屋)がやらない、ね?向こう(古着屋)がくれない。若いもんにしてみなさい、ねえ?おとっつァんおっかさんがああいうわけのわからんないことを言っているから、とてもこの世じゃ添えないから…あの世で夫婦になりましょうと、…どうだ、心中になるだろう」


(あとは幸兵衛の独壇場、芝居仕立てになり…)
「(仕立屋の宗旨が法華であることにまで小言しながら)心中にはちょいと陽気過ぎんだよ、あれァ。『お花、覚悟はよいか』『妙法蓮華経、南無妙法蓮華経!』ドンツク、ドンドン、ツクツク……。…しょうがないじゃないかァ。おばあさん、古着屋はなんだい?ええ?真言でございますゥ?…真言てえとあの『おんあぼきゃ』かい?…『お花、覚悟はよいか』『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はりばらたや、うん』…」(⇒有名な「光明真言」ですが、これじゃ、様になりませんネ)


『搗屋(つきや)幸兵衛』では、物腰柔らかな搗米屋さんが貸家を求めて大家の幸兵衛さんに挨拶にやって来ます。
前の借り手も搗米屋(しかも隣家)で懐かしさも手伝って幸兵衛は上機嫌で座布団、お茶をすすめて語り出します。
「貸してもらえるのかどうか」が心配な搗米屋にお構いなく、昔話全開の大家。


奥さんとの馴れ初めに始まって、死別したあとの後妻(最初の奥さんの妹)の話へと進むも、結局は先妻の位牌の位置が毎日後ろ向きに動くのを悋気嫉妬と苦に病んで妹も亡くなるという悲しい顛末。
ところが徹夜までして突き止めた真相は、位牌が回転したのは、隣の若い衆総出で派手に米を搗く搗米屋からの振動によるもの。
搗米屋の名残を残したままの家を貸しに出して、誰か同業者が借りに来たら大(おお)小言をぶつけて女房の仇を取りたかっただけの幸兵衛。
知らずに貸家を借りに来た温厚な搗米屋さんはとんだ災難という、突拍子もない展開に。


寄席で聴けばおそらく『小言』の方が『搗屋』より笑いは多そうですが、自分中心に世界が回り、気に入らないことには容赦なく小言をぶつけて日々を過ごす我儘な両幸兵衛さんをふと羨ましく思ってしまうのは私だけでせうか。
これらの前半部分と流れが似た『小言念仏』(世帯念仏)という噺は、専ら「南無阿弥陀仏」を唱えながら小言を繰り返すパターンですから好きな演者の映像で見るのが一番ですネ。
お後がよろしいようで…