胴乱の幸助(その3)

こんな風に街中のたわいもない喧嘩を治めるだけならよかったのですが、この親っさんにも「見事あの騒動を治めた」ヒーローと言われてみたい虚栄心があります。芸事のイロハも知らない仕事一筋だった親父がよりにもよって浄瑠璃の稽古場でちょうどやっていた『お半長』の話を聞いたから大変!


ここで『お半長』のあらすじ(親っさんが聞かされた中身)をライブ記録から抜粋してみませう。

★(老舗の『帯屋』の)主さん「長右衛門」さんちぃまんねんけどね。この(長右衛門さんの)お父っつぁんはえぇ人だんねん「仏の繁斎(はんさい)」言われるほどえぇ人だんねんけども、これが「おとせ」いぅ婆もらいましてん、後妻をば。
★これがいけまへんわい「儀兵衛」ちゅう連れ子してまんねんけど、血の繋がったおのれの息子を長右衛門さん追い出して後へなおそぉといぅ企みがおますわい。長右衛門さん平生は何ちゅうことなかったんですけど、いっぺん伊勢参りの帰りにね、石部の宿の「出羽屋」ちゅうとこ泊まりましたんやが、近所に「信濃屋」ちゅう店おまして「お半」さんいぅ娘さん居てますねんけど、これがちょっと長右衛門さんにホの字だんねん。
★でその晩、ゴジャゴジャッとややこしぃことなってしまいまんねん。お婆んがこれを聞き付けましたがな「恋しぃ、恋しぃ」ちゅう手紙まで手に入れて「どぉじゃい、こぉいぅことやってるやないか」ちゅうて「出て行け」これで追い出そちゅうんで追い出そとしまんねんけど、ここに偉いのが「お絹」さん、嫁はんだっしゃないか。日本一の貞女だっせ。言ぅたらおのれの亭主の浮気だっしゃないか、一緒になって「ワァ〜ッ」ゆやえぇてなもんですけど、違いますわい。
★お母はん、こら何ぞの間違いだっせ。うちの人に限ってそんなことおまへん」と、なか入りまんねん「けど長さまへ、て書いたぁるやないか」「この長さまは丁稚の長吉の長で、うちの長右衛門の長やございません。うちの人に限ってそんなことは、まぁまぁまぁ」と、あいだへ入ります。お婆んとしてはむかつきまんがな「親の言ぅことが分からんのか? 親じゃわやい」「ちぇ、あんまりじゃわいな」憎たらしぃ婆だっせ。


この「おとせ」婆の嫁いじめを治めようと、親っさんは、語り物とも知らず京都の現地(柳馬場通押小路下ル虎石町)に駆け付け、たまたまそのあたりにあった呉服屋さんで仲裁の談判を始めるという思いもかけない展開へ。
身近な揉め事の仲裁がついには歌舞伎や浄瑠璃の世界に及ぶという、荒唐無稽さが際立つ印象的な噺ですが、解説すればするほど面白さから遠ざかる感じがします。その意味で演者を通じて初めて息づく噺なのかも。実際の笑いは枝雀(文珍も得意らしい)あたりの音源(映像)に譲りたいと思います。


ところで、柳馬場通押小路下ル虎石町には、明治創業の蒲鉾屋さんがあるそうです。この店と長右衛門・お半の墓がある誓願寺の共催で、今年4月にお半長250回忌が営まれたとか。このとき、『胴乱の幸助』も上演されたそうでちょっと観てみたかったなぁ…