胴乱の幸助(その1)

個人間、あるいは組織や国家の間でも仲違いや諍いの話はよくありますね。
何とか穏便に円満に仲良くできないものでしょうか。
個性と個性とのぶつかりは他者の無視、嫌悪あるいは排斥を伴わざるを得ないのでしょうか。
とても難しい課題ですが、親和の可能性を信じたいと思います。
時には、頼りになる人(あるいは組織やその代表)の仲裁がカギになることもあるでしょう。


ところで、この噺の主人公は働きに働いて叩き上げで割り木屋の商売を軌道に乗せた親父さん。
全くの無趣味ながら、たった一つの道楽が変わっていて「喧嘩の仲裁」。
「胴乱」という聞きなれぬ言葉は、昔のバスの車掌さんがキップやおつりを入れていた黒い小さな鞄を想像するといいらしいです。
「胴乱の幸助」というと仰々しい名前なので、ここでは主に「割り木屋の親っさん」という呼び名を用います。


仲裁を実況中継すると、次のような感じ【台詞は、主にHP『特選上方落語覚書』枝雀寄席ライブ記録(1983.7.24)より引用】
《人がワァ〜ッと喧嘩してる「待ったぁ、わいを誰や知ってるか?」「割木屋の親っさんでんなぁ」ちゅうてくれたら、「わいを知ってくれてるとは嬉しぃやっちゃなぁ。でや、この喧嘩わいに任すか?」
「任します」っちゅうたら「よし、こっち来い」ちゅうて近所の小料理屋へ引っ張ってって、双方にせんど酒呑まして「よぉ〜し、この喧嘩、わいが預かった。もぉ喧嘩するねやないぞ。仲良ぉせぇよ」幡随院長兵衛(ばんずいんちょ〜べぇ)は俺でございっちゅう、道楽や。》


※「幡随院長兵衛」は35年ほど前テレビドラマにもなっており、その解説には、「時は徳川三代将軍家光の時代、江戸市民の恐怖の的になっていた“旗本奴”と呼ばれる集団があった。旗本たちが、太平の世に余る力のはけ口を、弱いものいじめでウサばらしをしていたのだ。これに対抗し、口入れ稼業の元締めらが中心になり、“町奴”と呼ばれる集団も現われたが、町奴もまた庶民のひんしゅくを買う無頼奴たちが混在していた。これら暴力に、敢然と戦いを挑み、強きをくじき、弱気を助ける侠気の男たちが現われた。それが幡随院長兵衛であり、彼を中心に集まる好漢たちだった!」とあります。


犬の喧嘩だって見逃しません。
《「ワンワン、ワンワンワン言ぅとこみると、わいを誰や知ってんねんな」、「この喧嘩わいに任すか?」、「ワンワン、ワンワンワン」
「ワンワン、ワンワンワン言ぅとこみると任すねんな。お前ら酒呑まんやろこっち来い」ちゅうて、煮売屋引っ張って行って、生節ぎょ〜さん買ぉてドサ〜ッ。犬、喧嘩忘れて食とるわ。食てしもたらまた喧嘩や「まだ足らんか」いぅてまた煮売屋行てドサ〜ッ、犬の喧嘩と煮売屋の間十八へん往復したっちゅう親っさんやで》