軒づけ(その1)

「のきづけ」という風習自体、文化財ですが、かつて浄瑠璃が庶民の身近な娯楽だった頃、きちんとした会場で演ずる腕になるまで、数人で各家の軒先を回り、浄瑠璃の素人流しをやっていたことがあったそうです。
「流し」という言葉もタクシーくらいしか馴染みがなくなって来つつあるかも。ただ、ソフトバンクのCMで流される、浜崎あゆみと宮史郎(伴奏のギター弾き)扮する小料理店を回る流しの歌、「噂話も全てタダ、別れ話も全てタダ〜♪」(あゆのライブでは、この曲も聴けるそうな)のお蔭で歌手の方も復権か(?)。
この噺は、落語家との相性がはっきりする部類の気がします。たとえば、桂枝雀がピッタリの感じ。
〈以下、リンクフリーのライブ記録 http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/index1.htm から引用します。〉


浄瑠璃を習いにいくのもいろいろと魂胆があるようで…》
「あんさん、お声がよろしゅございます」若い綺麗なお師匠さんに言われたら、「声なら、俺か…」
(声が悪けりゃ)「あんさん、節回しがよろしゅございます、お節が。お声のえぇ人にあんまり名人はないのん。声の悪いところを何とかしよぉといぅところから、本当の名人が出るの」「おらぁ、節回しか…」
節もダメな人があります。「あんさん、言葉がしっかりしてます。語り物、物語、やはりその情愛が分かってないと、あの言葉は出ませんのん、あんさん」「おらぁ、言葉か…」 
言葉もあかん人「あんさん、長いこと座っててもシビレの切れんとこが……」「シビレは、俺か」
何じゃかんじゃちゅうてお稽古に通うわけでございますが。


浄瑠璃を習い始めのシビレ(?)の一人が先輩の次の言葉で軒づけに参加することに…》
「この町内にはな、お好きなお方がたくさんにあって、この頃『軒づけ』に出ていなさるそぉな、よかったら一緒に連れて行ってもろたらどや?人さんの軒先、門口に立ってこれを語らしてもらうんや。そこをかいくぐって、何とか聴ぃてもらお、といぅ工夫からホンマのナニが生まれる。といぅのは、えぇとこの旦那衆なんかでも、修業のために皆この軒づけに出ていなさんねや」
「そやで、また好きな人の家へ当たることもあってな、こないだも『そんな結構なお浄瑠璃、そんなとこで語ってもろてはもったいない、どぉぞこっち』言ぅて、奥の座敷に通されて、皆が好きな所を十分に語らしてもろたあとでウナギの茶漬けをよばれて帰ってきたんや。」
この『ウナギの茶漬け』は一つのキーワードです。