かけとり(その2)

お次は芝居好きの醤油屋さん。奥さん(意外と芸達者。芸は身を助ける)に三味線まで弾かせて、近江八景(この落語もいつか取り上げたい面白い噺)の歌で言いわけ。
「心、矢橋(やばせ)にはやれども、…元手のしろはつきはてて、膳所(ぜぜ、銭)は無し、貴殿に顔を粟津(合わす)なら、今しばらくは唐崎の」
敵もついつられて、「うむ、松(待つ)てくれえというなぞか」と応じてしまい事なきを得ます。


続いて物騒にも喧嘩好きの酒屋さん。最初に高飛車に出て怒らせ「払ってもらうまで一歩も動かぬ」とまず言質を取っておいて、さすがに他の取り立て先もあるので、「そちらを回ってからまた来る」と言い出したところをすかさず攻撃(家を一歩でも出たら、割り木で向こうずね叩くぞと威嚇)。
「(お前が待つと言ったのだから払えるまで何年でも待つべきと、屁理屈を述べた後)、…見損のうたなあ、お前大きな顔して、(払いを)持たな動かんちゅうた奴が、持たんと去ぬのやな」
酒「ええわい、持ったつもりで去んだるわい」
「…持つまで去ぬない…、つもり…」
酒「いや、…持った。持った」
その日のうちに暮れの精算を済ませなければならない酒屋は、取り立て先のこの長屋から一刻も早く出たい一心で劣勢となり、いつしか立場が逆転し、「ほな、受け取り出せ」、「(受け取ったんなら)礼言わんかい」とまで押されて、悔しさで腸が煮えくりかえる思いで帰ります。


噺の最後は(取り立てはこれら4軒のみならず、おそらく二桁と思われますが)、駄洒落好きの米屋さん。
「一升(一生)のお願いや、…お金ができたら三升(参上)いたしますと四升(殊勝)らしいことを言うさかい、…」と九升まで駄洒落で、今日という今日は払ってもらうと意気込んだのに対し、「へい。払いは一斗(=十升、一統(まとめて))にお断り」とかわします。


4戦4勝のこの噺、上手くいきすぎですが、「相手が好きなもので応戦する」ことはそれなりに意味がありそうです。
敵味方が同じことをしながら攻防するのは、社会心理学のテキストによくある、いわゆる「類は友を呼ぶ」現象に近い話ですし、音楽を例に取ると、「好きな曲を聴いている時、親和性(他の人に好意を持って近づこうとする傾向)が高まる」(梅本堯夫編著『音楽心理学の研究』第8章第2節「音楽の感情価と感情反応」(谷口高士による))という研究結果にも通じます。
それにしても、この長屋の旦那(熊さん)の喧嘩から芝居まで自在に演ずる芸(?)域の広さには感心するばかりです。