かけとり(その1)

《今日が、ブログ開設以来150回目の書き込みにあたります。
だんだんずぼらになって、完全週休2日制になりつつありますが、行き当たりばったりで綴ってきた割には、思いの外早くこの日を迎えた気がします。
取りあえず書いてみたいことだけでも、おそらくこれまでの数倍はあるものの、文章作成能力の不足故その日暮らし執筆にならざるを得ず、どこまで形になるか自分でも想像がつきません。
形にするのは、これまでどおりコメンテーターの方々に大半をお任せすることとして、思いついたら即文字にすることのみ当面心がけ、まずは200回記念を目指したいと思います。
倍旧のご愛読のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。》


落語の方は、年の瀬の借金取り立てに対抗するという、時期外れの内容ですが、耳で聴くのと文字を追うのとで大きな違いの出る、演者の腕の見せ所の多い噺なので、取り上げたくなりました。
たまたま、先日、米朝のライブ録音を聴きましたが、やはり面白かったです。


なんでもツケ払いのきく時代の噺で、お正月になってしまうとしばらく借金払いの催促をしないのんびりした雰囲気が当時はあったようです。
登場人物は、裏長屋の夫婦と相次いでやって来る借金取りのみ。
この夫婦、前の年末は、男が死んだことにして、横たわっている死に装束の前で女が涙に暮れるという大技を使い、人のよい家主(ご隠居)は滞納していた家賃を棒引きにしたうえ、香典まで包んでくれます。
奥さんがさすがに恐縮して「お香典までいただくわけには」と固辞していたところ、死に装束がムクッと起き上がって「せっかくやから、もろとき」と言ったのに吃驚して家主さんは腰が抜け寝たきりになっているだけに、まさか同じ手は打てません。


今年は、借金取りの好きな話題に持込み、体よく断りを入れようという(マイルドな?)作戦(以下、『桂米朝コレクション1』(ちくま文庫)より引用)。
まず、相撲気違いの八百屋さんには、次のように。
「…人間、悪い時津風には悪い琴風が重なるもんで、右往蔵王(左往)するばかり、…口から出羽ノ花言うてるわけやない、言いわけもこれ一回き(魁輝)りでおます」
これには八百屋も譲歩して「…そう角力づくしで下手に取って出られたら、こっちも無理やり押し切るわけにもいかん。何も無いものまで取ろうというのやあらせ(荒瀬)ん」と出直してくれることに。
今は上位力士の過半数が外国人で顔ぶれも一新されているので、四股名で断りを入れる問答を新しく作るとしたら一仕事になりそうです。