我が道を行くこと(その2)

ここまでは、通常は目の前の問題の所在がわかり、相手がある場合はその関連情報も何かしらある状況ですが、さらには、自分に矛先が向いていることすらわからない(ダモクレスの剣とやらもありましたね)場面が考えられます。


英語の諺にも、The absent person is always at fault.((その場に)いない人はいつも悪く言われる)とあるくらいで、欠席裁判の類は洋の東西を問いません。
社会心理学雑誌』(The Journal of Social Psychology,Vol.150,No.4,July-August 2010,361-368)という真面目な学術誌の最新号に「職場でゴシップに興ずる女性は(同僚に)どう思われているか」('Perceptions of Women Who Gossip in the Workplace’)という論文が出ていました。
ここでいうゴシップとは、本人不在のときにその人の私的な立ち入ったことをお喋りする状況のことで、特に他人のどちらかというと悪口を話題にするものを指します。
この論文によると、多くの職場で陰口井戸端会議の中心人物がおり、この人たちは、権勢欲があり、温かみに欠ける印象を与えているものの、周囲の人たちにとって無下に扱えない存在と映っているようです。
日本でいうと給湯室界隈の女性社員のおしゃべりを思い描くとわかりやすそうですが、この場の話題を仕切る人の存在感が並の管理職を上回ることは想像に難くありません。


「自分が他人からどう思われ、何を言われているか」が全く気にならない人はよほど強靭な精神力の持ち主か能天気な人だと思います。
自分について根も葉もない噂話が飛び交っているのを察知したら、最小限の自己主張や弁解をしておくことは普通の人にもできる防衛手段の一つでしょう。
でも、「見えない敵」に対しては防衛にも限界があります。そもそも自分のいないところ限定で俎板に載せられる(ひょっとしたら話題にすら上らない)このようなケースで、心のエネルギーを消耗するのも虚しい気がします。
いくつか想定される選択肢の中から自分なりに見通しを立てて選ぶ場合は、結果はともかくベストの方法を探ることならできます。
しかし、目に見えぬ、いるのかいないのかすらわからない相手については、いっそあれこれ思い煩うことを諦めて、「私は我が道を行く」と割り切ってしまうのも生活の知恵のように思うのです。