看板の一(その2)

サイコロ賭博に興じている若い連中が近所のご隠居を引っ張り込む。
半ば強引に参加させられたこのおやっさんは、胴元を引き受け、惚けを装って壺皿からわざと1の目のサイコロを外へこぼして見せ、みんなにピン(1の目)を張らせておいて、一転そのこぼれたサイコロは看板として引っ込め、壺皿の中のサイコロはあらかじめ5の目に定めるという高等技術(?)で一人勝ち(ただし、若い衆に、これに懲りて博打はやめろと諭し、張った金は返してあげるのですが)。


ところが、反省するどころか、諭された側は「こんなうまい手は一度試したい」と他の博打グループに同じやり方で挑みます(以下、『桂米朝コレクション7』(ちくま文庫)より引用)。
(胴元を申し出て、おやっさんと同じ要領で壺皿の外へ看板のサイコロ(1の目)をわざとこぼして、全員に1を張らせて)
「なんぼでも張ってこいよ。目ェも疎(うと)なったし、耳も遠なったが、まだまだお前らには…」(←若いのに、律義というかご隠居の言葉をそっくりそのまま真似ます。このように「文脈がない」お惚けは落語によくある流儀)
「ほーう、みなピンやな。2から6までの目が出たらわしのもんやぞ」
「…もう張る奴はない、よし、そうと決まったらこの看板のピンは、ちょっとこっちへ」
(してやられたと絶望する賭場の面々に)「…勝負は(壺皿の)中やと言うてある、なあ。わしのにらんだところでは中の目は5と出た」
スーッと開けたら中もピン。


地の言葉(ト書き)ながら、鮮やかなオチ(サゲ)に思わず感心してしまいます。