やってみなければわからない(その1)

先日、仕事で窓口業務担当者のロールプレイ研修に立ち会う機会がありました。
顧客役とサービススタッフ役とに分かれて10分ほど疑似面談をして、その後見物していた人も交えて振り返ってみるという方式です。
みんな熱心に取り組んでいましたし、いかにも実際にありそうな問いかけや挑発(?)を仕掛ける顧客側の役者もいて、それなりに盛り上がりました。
ただ、所詮は「それなりに」なのです。「俺の(期待しているもの)とは違う」(TVドラマ『臨場』の倉石検視官風)のです。
まさに「臨場感」の有無と言えるかもしれません。
いくら想像力を逞しくしても、あるいは現実の応答例を織り込んだとしても、本当のやり取りにある迫力がどうしても伴いません。
対面の場の一回性(厳密には全く同じ対話は二度と交わされない)や意外性(現実場面では想定問答とおりにはいかない)に欠けるためでしょうか。


やや話が飛躍しますが、先日のサッカーワールドカップ日本代表チームは、試合を重ねるたびに強くなっていったように思えます。
もちろん(おそらく格上だった)相手チームの動きを想定した練習の成果もあったでしょう。
しかし、選手が進化したのだとしたら、それは緊張感漲る試合中のからだや気力のぶつかり合いを通じて体得された何かが、一番大きかったように感じられてなりません。


たとえば受験となると、小学校から(一部は幼稚園以前から)塾通いをし、大学に入るために現役生も含めて予備校に行って、答案作成練習や模擬試験を受けるのは今や珍しくありません。
最近では大学に入ってからも、弁護士・税理士・公認会計士をはじめとするサムライ業に限らず就職に備えて別途専門学校で準備するほか、シューカツ(就職活動。この中には書類選考用の、本人と別人に見えるメークアップで美男・美女化する写真撮影も含まれる)のセミナーに参加する学生が増加。
さらにはコンカツ(結婚を目的とした作戦の実施)やリカツ(文字通り離婚活動)まで、周到な事前準備がピシネスになる時代。
でも、これらはいずれも大半がイメージ練習や疑似演習に過ぎません(最後の〜カツ2つはよくわかりませんが)。
それだけに、本番とは程遠い「あり得ない」トレーニングに勤しみ徒労に終わるケースも案外あるのではないでしょうか。