コミュニケーション能力って一体?(その2)

大体、「上手」や「きれい」ばかりでないのが現実。それらをいつもカッコよく説明しようとすると、誇張や時にはウソが混じってしまうのでは。「時には不細工でも自分の気持ちに正直に話す」ことも意味があるはず。
小さい子があまり見映えや受けを気にし始めると、先生や親、クラス全員の前で自分を取り繕う方向に傾いていかないか、心配になってしまいます。たとえば、昔からあったごく身近な話ですが、掃除当番で誰かが一所懸命掃除をしている間、どこかでサボっていた子が、点検の頃だけ要領よく戻って来て先生に褒められ、本当に働いた子は無視されるというような、かわいそうなことがこれからますます起きるんじゃないかと。
コミュニケーション能力は、上司を含め周りの人たちと言葉や気持ちのキャッチボールができることで、それがたまたま泥に塗れたボールでも、暴投の多い相手でも、何とか手を伸ばしてキャッチし、自分に合った姿勢で投げ返すことができれば、立派なもんじゃないかな。たとえその返球がストライクでなかったとしても。
体の正面で受け止めなければ(いけません)、心地よいストライクでなければ、などの隠された掟を、校則や社訓の類から取り除いてくれれば、生徒や就職していく若者はもっと楽になって元気が出、それこそ相互の意思疎通も滑らかになるような予感がするのはマーだけではないと思うのです。