あすの俺は、今日のオレより進化する(その1)

先日、エスカレーターでいかにもボクシングジムの練習生風の体格のよい男がボロボロになった『ボックス!』(百田尚樹著)を読んでいるのに出交わしました。読み始めると物語の中に入り込んでしまう力を秘めた作品だと思います。
自分でもよくわからないのですが、この本を読んでいるとマーは時々胸がジーンとなることがあるのです。この感じは独特のもので、他の小説ではめったに生じません。
ところが、わずかながら同じ反応が生じる作品があと二つ。一つが野球ものの『バッテリー』(あさのあつこ)、あと一つがマンガの『ヒカルの碁』(ほったゆみ原作、小畑健画)。
『ボックス!』(高校ボクシングが舞台)のユウキ(ボクシングに目覚めた優等生)とカブ(幼馴染の天才ボクサー)さらには稲村(プロ級の強豪)、『バッテリー』(中学野球が舞台)の巧(野球のみに真っ直ぐな天才投手)と豪(巧のボールに心酔し野球に打ち込む医者の跡取り息子)さらには門脇(超中学級の強打者)、そして『ヒカルの碁』のヒカル(全くの初心者から日々進化していった棋士)とアキラ(名人の息子、ヒカルの宿命のライバル)それに佐為(ヒカルに宿った平安時代棋聖)、それぞれがかけがえのない親友(ライバル)や運命を左右する第三者を中心に描かれています。
これら作品の共通点としてはさらに、主人公には必ずしも意識されていない類まれな才能があるように思います。時に本人を戸惑わせ脅かしかねないほどの素質の計り知れなさ(お話の世界でなければ、現実にはそうそうなさそうですが)。日に日に進化していく生命力の意外性や逞しさに惹かれるのかもしれません。
もう一つは打ち込むことのできるものを見つけたときの人間の伸びしろの大きさが、堅苦しい講釈を伴わずに、競技の生き生きとした描写を通じて示唆されている点(ここが『巨人の星』のようなスポ根ものと趣を異にする点)。
それに加えて、人間を圧倒的に凌駕するほどの極みや高みへの飽くなき営みのひたむきさ、真っ直ぐさでしょうか。ここには、大人の営為にありがちな思惑や打算はかけらもありません。こんなところに清々しさすら感じるのかなぁ。
もしかすると、案外ぐっと単純なところに反応している可能性もあります。各作品の主人公のように素質に恵まれていなくとも、「昨日の僕よりは今日のボク」、「きょうの俺よりは明日のオレ」と、たとえ蝸牛のようなペースでも確かで健気な進歩が胸キュン(?)のもとだったりして。