お笑いを論ずると結構奥深い(その2)

ナンチャンは、さらに、お笑い談義にとどまらず、自らを客観視する意義も説いています。
「もちろん自分の『やりたいこと』を追求する姿勢は大事ですが、それが見つからなくて道に迷ったときには『他人の目から見た自分』の適性について考えてみるのもいいのではないでしょうか。『自分のことは自分がいちばんよく知っている』といいますが、意外に自分のことはよく見えないもの。他人が『新しい自分』を発見してくれることも、実は多いのだと思います」とあり、同感です。
カウンセラーの仕事を目指す人向けの本によく出てくる用語に「ジョハリの窓(Johari’s window)」があります。自分について、「自分があるいは他人が」の2通り、「知っているかあるいは知らないか」の2通りを想定すると、都合、下のような2×2の4つの窓を作ることができます。

自分について 自分が知っている 自分が知らない
他人が知っている 開放の窓 盲点の窓
他人が知らない 秘密の窓 未知の窓

たとえば、「自分について自分は知らないが、他人は知っている部分」を「(自分にとって)盲点の窓」と名づけ自己理解を深めるきっかけとなる分野ととらえるのですが、ナンチャンの上の言葉はまさしくそこをとらえています。ジョハリという耳慣れない言葉は、この発案をしたジョセフさんとハリーさんの名前を合体した造語です。
ちなみにジョハリは、閻魔大王の前で生前に行なった全ての事が映し出される浄玻璃(じょうはり)の鏡や、武士道で伝統の型を守り、一旦それを破り、さらに元の型にとらわれない新たな境地に達するプロセスを説いた守・破・離(しゅはり)に何となく音が似ています。
語源が同じはずは絶対ないのですが、自分や自分の周辺のこれまでを見つめ直し、存在が揺さぶられるような場面(自覚していない意外な自分に気づくこと従来の自分の型から脱皮することから、閻魔様に生前の行状を裁かれることまで幅はあるものの)を経て、新たな可能性につながり得るという共通点がそれぞれの言葉に隠れていて、不思議な思いがしてしまうのは私だけーっ!(もうすぐ番組終了予定の『エンタの神様』に出ていた、だいたひかる風(最近TVで見かけませんが))。