たまには哲学書などいかがでせう(その1)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

九鬼周造『いきの構造』(岩波文庫)より。哲学書の古典で、優れた解説もいくつかあるようですが、つまみ食い的に読んでみると結構おもしろいですよ。たとえば、以下のような記述はいかーがですーっ♪♪♪

「『いき』の第一の徴表は異性に対する『媚態』である」
「徴表」とは一種の哲学用語で、大辞林によると、「その事物のあり方を特徴的に示し、他の物と区別する性質。属性。メルクマール」とあります。
蛇足ながら、辞書の定義の最後にあるメルクマール(ドイツ語)は、今や日本語化しています。「目印」、「特徴」、「(ものの性格や他との違いを際立たせる)手がかり・キーワード」程度で置き換えることのできるケースが大半なのに、カタカナ語の方が威張っている例と言っていいかもしれません。「メルクマール女子高生」という言葉(毎日決まった時刻にすれ違う目印となる(時には気になる)制服着用の女子高生)もあるそうですが、何だかなぁ…

「媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである」
「媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである」
微妙な表現ですね。近頃流行りの肉食系女子なら、男子を征服して食い尽くす(したがって媚態も消滅)ことになるんでしょうか。

「『いき』の第二の徴表は『意気』すなわち『意気地』である」
「『いき』には、『江戸の意気張り』『辰巳の侠骨』がなければならない。『いなせ』『いさみ』『伝法』などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない」
「『意気地』は媚態の存在性を強調し、その光沢を増し、その角度を鋭くする」
落語の『文七元結』で、左官の長兵衛が、娘の運命と共に借り入れた大金を、商の売掛金を紛失して身投げしようとする丁稚(文七)に名乗りもせずくれてやり、その後、そのお金を返しに来た番頭に「いったんあげた金を返してもらったんじゃ江戸っ子の名折れになる」と言い張る場面がふと思い浮かびました。

「『いき』の第三の徴表は『諦め』である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。『いき』は垢抜けがしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ」
「魂を打ち込んだ真心が幾度か無惨に裏切られ、悩みに悩みを嘗めて鍛えられた心がいつわりやすい目的に目をくれなくなるのである」
ここまでくると、ちょっとお洒落な人を軽々に「いきな人」と形容するのが憚られるような…

「・・・『いき』を定義して『垢抜けして(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)』ということができないだろうか」
なるほど。