他人と比較しても仕方ない(その1)

「まずもって人間を不幸たらしめているのは『他人と比べる』という比較の概念ではないでしょうか。不安、自己嫌悪、屈辱感、嫉妬、怒り・・・自分を傷つける感情はほとんど『比較する』ことから生れているからです」(樋野興夫『がん哲学外来の話』)
確かに、生涯を通じて他人との比較をしたくなる場面はたくさんあります。
不幸を招きやすいのは、優劣がわかるときでしょう。
試験の成績、趣味をはじめ大切にしている活動での評価(スポーツ、芸術等競技会やコンクールの順位など)、家の構え、贅沢できる度合、仕事の勤務条件や将来性、会社での昇進、持病の有無や程度、配偶者(恋人)の容姿(気にしない人もいるかな?)、子どもの学校などなど。


もっとも、この中には評価が分かれるものや優劣が必ずしも明らかでないものも含まれますが、「(他人が)羨ましい」という感情を覚えたことが全くないという人はあまりいないと思います。
中には羨望の念に取り憑かれて卑屈になったり、世の中を斜から見るクセがついてしまう人までいるかもしれません。
最近の研究には、自分と他人とで幸福度に大きな差があると受け止めた場合、良い気持よりはむしろ嫌な気持を抱く傾向があるとの説や、自分よりも優れていると感じている他人の不幸に接して、ある快楽中枢の働きが活発になるとの実験結果があるそうです(やや哀しくもありますが)。


反面、比較にはメリットもあります。
他と比較することで、ものの特徴が初めてよく見えてくることが珍しくありません。
比較によって事物に対する理解が深まり、新たな発展への芽につながり得ることは、子どものポケモンゲームやTVヒーローのカード遊びから先端科学技術に至るまで幅広い分野でいくつも実例を見出すことができます。


比較する対象と自分との間に適度な距離を保つことができるかどうかが、比較に伴う幸不幸を左右するようにも思われます。