働くことと動くことについて(その1)

職場や立ち寄った店、あるいは何かの催しその他諸々の場で目にしますが、スタッフの中で、動きの良い人と鈍い人、同じ動きでも、それらに無駄のない人とただウロウロしている感じの人、サボっているように見えてポイントを押さえた行動をする人と労働時間は長いがどこかズレている人など、個人差の大きいことを実感します。
今でも思い出し笑いするのは、ある立派な結婚披露宴で新郎の父(大きな会社のエライ方)が一所懸命ながら、意味のない移動を繰り返し、そのたびに式場のスタッフが慌てて探しに回っていた(不動だった方がどれほど周囲は助かったことかという)光景です。


サービス精神(以前、ある店で閉店時刻近くまで歓談していたら、店員に「私、もうすぐ帰りの終電の時刻になるんですけどー」と迷惑そうに言われ、中途半端な感じでお開きとしたことがあります。その後、なんとなくその店に足が向きませんでした。)、やる気の差もさることながら、残業も惜しまないなど労働投入の度合いが大きいからといってそれぞれの場で本当に役に立っているとは限りません。
立居振舞のスタイルも人によって異なるだけに、一概に何が正解だとも断言できません。


私が尊敬するある先輩(当時、大学の助手)は、上司の教授から来日した外国人教授にふだんの仕事ぶりなどを(おそらく好意的に)紹介してもらった際、”He is very useful.”(helpfulでない)と言われたのにかなり落ち込んでいたことがあります。翻訳すると「この助手はとても使い勝手がいい(便利君)」で「役に立つ」とは評価してもらえなかったということでしょうか(このあたりのニュアンスの違いは微妙で実はよくわからないのですけれど)。
一方、夜遅くまで職場にいる(実際に仕事をしているかどうかはわかりませんが)社員の姿そのものを、努力賞として評価する向きもあるでしょう。