浅草散策

親切な方のお声かけで、久々に浅草寺に行って来ました。


驚いたのは、外国人の多さ。中国語、英語、フランス語が飛び交い、さながら異国のよう。観音堂に参拝する人の構成も半分近くが外国人。
特に中国人ツアー客が目立ちました。先日銀座を歩いた時も、中国人観光客の一行が高級ブティックから大きな紙袋を持って立派な観光バスに乗り込む光景に接しました。
おそらく外国人観光客による日本経済の浮揚効果は見過ごせない規模になりつつあるのではないでしょうか(浅草の複数の店で「外国人お断り」、「Japanese Only」などの貼り紙を見て少し残念な気もしました。外国の有名な観光地でこのような貼り紙はあまりないのではと想像するのですが)。


先週末400メートルを超えたスカイツリーは、高いだけあって様々な場所からこちらを見下ろしているように頭を覗かせます。人の感性にもよりますが、大きな観音像や富士山に対するのに似た一種の信仰めいたものが生まれる予感もあります。
浅草寺は、7月上旬の「ほおずき市」の日に参詣すれば、4万6千日観音堂に参拝したに等しいご利益があるそうで、落語『船徳』に登場する、女に格好よく思われたい一心で船頭になった若旦那のとんでもない舵取りのせいで、あろうことか川のまん中で船から降ろされた気の毒な客も確か「四万六千日詣で」の途上でした。


浅草寺の弁天堂鐘楼あたりには、明治・大正期の演歌師・作詞家、添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)の碑がありました。折しも唖蝉坊のことは、つい最近朝日新聞(『ニッポン人・脈・期』7月26日夕刊)に取り上げられています。詞作は、たとえば次のような痛烈な社会風刺が多いみたいです。
「あゝ金の世や金の世や。地獄の沙汰も金次第。
    笑ふも金よ泣くも金。一も二も金三も金。
親子の中を割くも金。夫婦の縁を切るも金。
    強欲非道と譏(そし)ろうが。我利々々亡者と譏らうが。
痛くも痒くもあるものか。金になりさへすればよい。(以下、略)」
(『あゝ金の世』、日本ペンクラブ 電子文藝館より引用)


その後、浜離宮恩賜庭園まで水上バス。船内はやはり外国人が多く、フランス語、ドイツ語、中国語で賑やかでした。中国人と思しきグループが「あっち向いてホイ」で遊んでいたのも新発見。もともとは祇園のお座敷芸だと聞いたことがありますが、輸出されたか、それとも意外にも中国由来(新説?)か…。