何をしたいかわからない(その1)

学生や若い人に「将来何をしたい?」と尋ねてみても要領を得ないことが少なくありません。
幼児に同じ質問をして「大人になりたい」とか「ウルトラマンになりたい」など答えが返ってくると思わず微笑してしまいますが、そろそろ学生も終わりとか、とっくに卒業した人に「さぁー」と他人事のように言われると、「この子は一人で食べていけるだろうか」身内でなくとも心配になってしまいます。
では、一応社会人として家族を持ったり、生計を立てたりしている人に「今やっていることは希望通りでしたか」と聞いたらどんな反応になるのでしょう。
「何をしたい(したかった)か」が一つに定まるとは限りません。ある年齢に到達すればはっきりするというものでもなさそうです。
仮にしたいことがはっきりしていても、その中身によっては現実的には思いどおりにはできない場合もあるでしょう。
逆に何をしたいか依然不確かでも、今目の前にある仕事なり生活上の課題に取り組むことでそれなりの充実感や達成感を味わう人もいるはずです。
そうなると答は案外、「さぁー」に近いのでは。少なくともマーには模範解答はできそうにありません。
よほどの例外か、医師のように大学入学時に将来像をある程度定めているわずかな例を除いて、何になりたいかしっかり考え抜いて生業に就いてはいないんじゃないかなぁ。大半の中年世代も「近頃の若いもんは何も考えとらん」と言える資格があるかどうか。
しっかりした統計データは見つかりませんが、「何となく就職」は昔も今も大差なしだと思います。
進路決定は多かれ少なかれ妥協の産物といえるのではないでしょうか。