幼児には文脈がない(その1)

「盛岡のおっちゃん」さんのコメントにある、雪の中でも半ズボンの中学生のエピソードに触れて、子ども(ここでは、むしろ中学生よりも幼児の話題)のおかしさを取り上げてみたくなりました。
小さい子どもはお笑いの名人です。笑わせるというねらいなしに可笑しなことを次々と言ったりしたりしてくれます。
ところが、成長するにつれて、このすごい才能が影に隠れるみたい。
大人になってお笑い芸人を職業にでもしようものなら、「これで受けるだろうか」と不安を絶えず抱えながら、かえって気難しい日々を送るのかもしれません。地のままで大人を笑わせるという難題をいとも易々と子どもがやってしまうのはなぜでしょうか。
マーの仮説は「幼児には文脈がない」(その場の流れと関係ない言動をする)からです。
大人のように(例外は結構あるものの)思惑や理屈で動くのでなく、その時その時の感情がそのまま表に出るので反応が読み切れない意外性があります。
もちろん、大人だったら失礼なことでも、子どもがやれば微笑ましく見てもらいやすいという特権もありますが。
たとえば、『ユーモア辞典②』(秋田實著、文春文庫、p.114)には、次のような笑話が載っています。
母親「もうじき赤ちゃんが生まれるけど、坊やは、男の子がいいの、それとも女の子?」
息子「ボク、テレビの方がいいや」
こんな風に、聞かれている事柄から何の悪気もなく脱線して、思うままの答えをしてしまうことがしばしば。


我が家の昔話では、真顔で子ども(当時3歳くらい?)が母親に日頃の素朴な疑問をぶつけていたのを思い出します。
「なんでパパとママは僕の名前知ってるんだ?」
ほかにも、「僕は生まれる前ママのおなかで寝てたの?どんなふうに?布団敷いて寝てたの?」など。
常識的な時間の順序や理屈から解放された自由な発想に半ば感心(親バカ?)、半ば呆れたものです。