大人とは…(その2)

大人だって、イライラして当たり前。でも、よほどのことがなければ(酔っ払っているとアブナイかな)、どこか節度が働いてもよさそうなのに。
かえって大人だと、知らない人を嫌な気分にさせて我関せずでも、相手が上司など気を遣う場合は別人に変身するのでしょうか。
マーは人間ができていないので、天命を知る年になっても大人らしくありません。
最近流行りのキャリアコンサルタントや○○カウンセラーなどが資格を取る際によく勉強する理論は、総じて「人間は年を重ねるにつれて成長する」という仮説に立っているようです。
でも、そうかなぁ。いい年をして、自分さえよければいいという振る舞いをするオッサンや、群れれば周りや場所にお構いなく大声で「ガッガッガッ」と馬鹿笑いや世間話をするオバちゃん(これも先日電車内で、こうした一群が車両の中央に陣取り、そのボリュームがあまりに大きくて、車両の一番端で十分離れていたにもかかわらず、マーはひとときの安眠を妨げられました)の多いこと。
年輩だからといって、高次の段階に到達しているとは必ずしもいえません。
大人度というか人間として成長しているかどうかを評価する物差しはありそうで案外ありません。おそらく、発達障害を視野に入れて開発された適応行動や社会的成熟の尺度、それにDSの大人度診断くらい。ならば、自分で定義するしかないか…(超難問)
現実問題として、生計を立てたり、手続きなど知識面での社会常識を身につけることが、多かれ少なかれ大人には必須ですが、ここまで含めるとさらに難しくなりそうなので、今回はもっと精神的な側面に絞ってみます。
まず、ものごとに直面し、自分なりに判断しどうすればよいか答を出す、さらには、その答には最低限の責任を持つという、主体性や責任感(周りの責任をみんな担うと押しつぶされますから、約束は守る程度の軽いものくらいはせめて)が子供に比べると大人にはしっかり求められそうです。
次に衣食住のかなりの範囲で、自分のことは自分でできる(これは既存の成熟度尺度に近い)といった自律性でしょうか。もっとも病気や障害でそれらの一部ができなくとも精神的に尊敬できる大人がたくさんいるのはもちろんです。
≪さらに続く…≫