言葉が通じない(その2)

次々生まれる新語・略語の類も難解です。どこまでが仲間内の言葉で、どこからが市民権を得た用語かすら、はっきりしません。
鉄子」が黒柳徹子でなくて(ただし、藤子・F・不二雄の漫画のどれかに『鉄子の部屋』の映っているTV画面の絵があったような)鉄道好きの女性くらいは見当がつきますが、「シブカサ」(渋谷の商店街でキャンペーンとして用いたことから無料の貸し傘を指すそう)でイッパイイッパイ、
ヒウィッヒヒー」(twitterのこと、tをカタカナの「ヒ」と読めばそんな感じになる)に至ってはさっぱり、何が何だか。
そういえば、日観連を「日本観音連盟」と勘違いしていた(とてもユニークな直観と感心した記憶があります。どんなことをする組織と思ったのか聞くのを忘れました)友人もいましたっけ。
落語『今戸の狐』では、ヤクザの隠語から行き違いが生じます。
3個のサイコロを使う博打を指す「狐」と、噺家の売れない弟子が内職で彩色している今戸焼の狐を勘違いした、通りすがりのコワイお兄さんが、「大きい狐や金張りの狐を作っている」という返事を大賭場と思い込み、狐の置物を見せられて逆上し、「骨の賽」(鹿の角や象牙で作った高級なサイコロ(を使った賭け))を要求すると、答えが「千住(付近の小塚原に由来する遊郭出身)の妻(細君)はお向かいに住んでいます」で最後までかみ合わないところがおもしろい。
藤井青銅『略語天国』(小学館、2006年)には、「略語が持つ親和作用(略語化されたものに親近感を持ちやすい)」に触れていますが、この細々と内職で生計を立てている噺家の卵は、略語(隠語)の狐がきっと嫌いになったことでしょう。