PDCAサイクルについて(その2)

わざわざPLANするほどのテーマなら、その先には通常何らかの目的があるはずです。
個人の営みでいうと、進学する、資格を取る、仕事に就く、誰かと親しくなる、何かの知識や技を身につける、結婚する、趣味を深める、生きがいを確かめるなど、マズロー(Maslow,A.H.)の要求階層説の最下位に位置する生理的要求よりは高次の動機づけを伴うものになるでしょう。
でも、これらに取り組むとき、予め明確なプランを立てたからといって、そのとおりに行くことはむしろ少なく、こまごまとした進捗管理には馴染みにくいものも結構あります。
多くの場合、まず行動してみて、必要に応じて軌道修正を図ったり、場合によってはいったん中止し、改めて次の手を考えるのではないでしょうか。その後は少し先を見据えながら、さらに何かやっていくことになりそうです。
このような軽い見直しや見通しを重ねることを通じて、自らが希望するものに近づいたり、あるいは、目的そのものを変更したりしながら、過ごしていくのでは。
PDCA自体は提唱から長い年月を経た今も有効活用できるアイデアの一つですが、PDCAを万能視すると、効率を高めるはずの仕組みがPLANやCHECKの手間暇やコストをかえって増やしてしまうかもしれません(実際、このサイクル導入で紙や時間の消費量が激増した事例もあるようです)。
PDCAに限らず、当てはまりにくい現実のケースがあったら、その言葉や発想に合わせることを諦めて(盛岡風流人さんの「配偶者」=「偶々配られた者」風にいうと、「諦める」=「あきらむ、明らかにする」で、無理やり合わせるとらわれから解放されて初めて、現実に沿ったそれらしいやり方が見つかるのだと思っています。
マーは、取り越し苦労やあらゆる可能性をシミュレーションするよりは、まず軽く試してみる(それが取り返しのつかない決断を伴う場合はさすがに躊躇しますが、そんな場合はそうそうありません)派ですから、PDCA改めDDDDかもしれません。
もう少し正確に表現すれば、ADCB(まず取り敢えず方向を定めて(Aiming)、実行(Do)し、続ける(Continue)か変える(Change)か、あるいはやめる(Cancel)かし、何か行動(Behaviour))に移す)に近い。この方が、アルファベットの最初4文字で覚えやすそうだし、えーやん!