故事成語で遊んでみると

故事成語というと、今では大半の人がにとって、学校や塾で漢字と意味だけ詰め込まれるか、TVのクイズ番組でおバカ芸人の珍答を見て笑うか、エライ社長さんが訓示や講演で蘊蓄を披露するかくらいだと思います。
マーは、故事成語を漢字テストや「君たちは知らないだろう」と言葉と意味だけ教えるのに用いるだけでは、もったいない気がするのです。
言葉は生き物ですから、故事成語の成り立ちも調べて、自分なりにイメージを広げてみるのも一興では。

試みに、次男の学校の面白い(生徒にとっては難儀な)宿題を傍で一緒にやってみたときの作品を紹介してみます(愚息がこれを拝借して提出したかどうかは聞くのを忘れました。)
刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)
 「舟に刻し剣を求む」と読む。舟から流れの中に剣を落とした者が、ここが剣の落ちた場所だと、ふなべりを刻んでいるしねしをつけ、あとで落とした剣を探した故事。転じて、時勢の移り変わりを知らない、頑固で融通のきかない者のたとえ。〔呂氏春秋、察今〕(大修館書店『新漢語林』より)⇒課題は、この故事成語から連想してお話をつくるというものでした。
【連想ゲームで試作した小噺】
 老人の口癖は「ワシが子供の頃は・・・」であった。
 時間の流れが過去のどこか、それも50年前で止まっているかのようだった。
 それでも、案外ふだんの生活は何とかやっていけたのである。
 実は長年連れ添ってきた妻をはじめ、家族、友人、仕事の仲間が、彼が世の中の進歩や時代の変化に合わせて頑なに動かそうとしない時間をどうにかしようというのをとっくの昔に諦め、少々不便でもなるだけ本人の信念、いやある種の信仰ともいえそうな、「昔のままが一番」と現実との折り合いがつくように手伝ってあげてきたというのが本当のところである。
 たとえば、服装、車、部屋にある設備から髭のそり方、トイレの型まで50年前に印でもつけたかのように当時のままを貫いた。
 彼を変わり者という人はもちろん多かったが、中にはレトロとか昔の気概を失わない人、永遠の青年とか持ち上げてくれる人まであったほどである。
 実際、その気になれば、大体のものや大抵のことは昔ながらのやり方が通用するものである。その過ごし方は大量消費社会にない今はやりのエコライフといえなくもない。
 しかし、例外もある。それは非常のときであった。
 いつものように、老人は朝の散歩に出かけた。50年前に家で飼っていたのと生き写しのベルという雑種の雄犬とともに。ベルは性格は温厚(人ならぬ「犬は悪くない」)だが、おっちょこちょいのところがあった。
 その日は走っているうちにふと歩道から車道にはみ出した雌犬を30メートル前方に見つけ、「あぶない、飛び出すな」とでも叫んでいるようにワワンと吠え、一目散に駆け出した。
 轟音を上げて通りかかったトラックに轢かれたのは雌犬でなく、助けようとしたベルの方だった。
 老人は狼狽して、「誰か助けを」と力なく声を出したが人通りはまばらで反応はなかった。
 絶望しかけたその時、視界に飛び込んできたのは、目の前のコンビニの電話。
 命綱に縋るような思いで受話器をつかみ、10円玉をジャラジャラと取り出したが、非情にもその電話機はカード専用だった。
 「なんじゃ、これは!」彼にとってテレカは宇宙人の持ち物に近かった。
 (コンビニの店内でテレカを販売していることなど、公衆電話の色が赤から変わっていない老人の頭にはこれっぽっちもなかった。黄緑色の箱が電話だとわかっただけでも愛犬への思いが神様に届いた奇跡ではと思われるほどである。)。
 1時間後、通りかかった親切な人のおかげで最寄りの動物病院に搬送されたベルをみて獣医が発した言葉は「あと20分早ければ命は取り留めたのに」であった。
 

携帯電話全盛で、テレカも街中では2、3種類しか見かけなくなった今、この小噺も既に古くなってしまったかもしれません。