力のチカラ(その2)

ところで、これほど「チカラ本」が氾濫するきっかけの一つは、赤瀬川原平著『老人力』(1998年)でしょう。それまで、「老人は加齢で衰える能力があるものの、長年培ってきた知恵や経験は得がたいものなので、これらをもっと社会に役立てよう」というトーンの考え方が支配的だったのに対して、「老化ではなく老人力が段々身についてきたのだ」とみる発想の転換は新鮮だった記憶があります。
その1の(1)〜(4)に例示した力には、元祖老人力ほどのスケールの大きさが欠けているように思います。
老人力からしばらくして活字になることの多かったのが、(2)に揚げた「人間力」。
人間力」は、内閣府人間力戦略研究会報告書」(2003年4月)の定義によっており、社会の構成員として相応しい総合的な能力を指しています。
経済産業省の研究会で議論された、①前に踏み出す力、②考え抜く力及び③チームで働く力の3要素からなる『社会人基礎力』ともかなり重なります。
これら新しく光が当てられた能力は、マニュアルを作って画一的に育成するよりはむしろ、個人、あるいは集団でその都度適切な判断を迫られる臨場感のある場を通じて体得されるものでしょう。
とはいうものの、少なくとも私には「人間力」という言葉にどうしても違和感が残ります。
老人力に欠ける人が「老人の風上にも置けない奴だ。おまえなんか、老人と認めない」と言われても、腹も立たず、「まだ俺は若い」と居直ることもできようというものですが、人間力が欠けているとされた人は同じようにはいきません。
アンバランスなのが人間であり個性なのだから、お定まりのカリキュラムで修得できるような類の能力を「人間〜」で形容すること自体、非人間的な発想と感じられてならないのです。