人間は本来、利己的>利他的?(その2)

これら露骨な「自分さえよければいい」行動に、(迷惑をかけられているはずの)周辺の人たちが一致して非難するまでには至っていないようですが、進化心理学的には、憤る人がいたり(全くいなければ、ルール無視が横行)、裏切り者検知モジュール(協力行動を示した人と裏切り行動を示した人の顔写真を見せて記憶のテストをすると裏切り者の方をよく覚えているという社会心理学の実験結果があるそう)が働いて、結果的に集団や社会の利益が守られ生き残ると考えるとのこと。
ただ、ここで大切なことは、掟破りを憤る人ばかりいても集団にとって役に立たないばかりか、集団での居心地が悪くなるばかり。
落語『大山詣り』では、酒癖が悪く喧嘩っ早い熊さんが、約束したにもかかわらず町内の男衆で出かけた大山詣りの宿で大喧嘩し、被害に遭った同行者が、酔っ払って寝入っている熊自慢の髷を寝ている間に剃り落す仕返しをし、熊を残し一行は、翌朝早々逃げるように発ちます。
目が覚めて事の次第に気付いた熊は、早駕籠で先回りして帰宅し「横須賀まで船を仕立てて見物の途上、突然の疾風で転覆し自分以外全員水死した」と騙って、長屋の女房達全員の頭を自分同様丸めさせ、皆で念仏を唱えて悲しんでいるところへ御一行が無事帰還。女房にとんだ悪戯をされた男たちが熊を袋叩きにしようとしたところ、世話役の先達さんが「みんなお毛が(怪我)なくてめでたい」と笑って収めます。
この噺は、「やられたらやり返す」の喧嘩や報復の連鎖になりかかったところで「まあまあ」という先達がいるのが救い(笑いの方は、俄尼さんがずらり並んで、遊び帰りの夫たちを南無阿弥陀仏で迎える絵にあるかもしれませんが)。
憤る人、宥める人、牽制球を投げて反応を見るなど交渉術に秀でた人、みんなの気を和ませるムードメーカーなど「多様な人の集団の方が生き残りやすい」(前掲書p.148)のだと思います。
裏切り者が改心すればいつまでも排除するのでなく、社会や集団に受け入れる寛容さも狩猟採集時代にはあった可能性があり、「私たちの過去の記憶が、適度にぼんやりしていること」の効用も示唆されています(同p.167)が、さもありなんという気がします。