人間は本来、利己的>利他的?(その1)

一昨日取り上げた進化心理学の本によると、「真に利他的な(他人のためになる)行動というのは、基本的に生存競争に生き残れない戦略なので、残念ながら進化できない」、「(義理人情の感覚や公平感)のような社会的感情は、集団的な協力をすることで生存競争に勝ち残るようになるうちに獲得された」とあります。
つまり、協力(助け合い)は人間が生き残りのために、長い歴史を経て身に付けた、いわば生活の知恵というわけです。
この仮説の真偽はともかく、「自分さえよければいい」が基本で、「他人のため」の行動には、いろいろな思惑が伴うという人間の利己性は「残念ながら」ある程度認めざるを得ない気がします。
たとえば、この本では、公共財ゲーム(小グループの各人にお金を分配して、それをみんなのために拠出して配当を受けるか、あるいは自分だけそのお金をプールするか、繰り返し決断を促すゲーム)で、途中多かれ少なかれお金を出し合うメンバーも、最後のプレーでは、自分だけもうけようとして拠出金がゼロになる傾向のあることが紹介されています。
「自分さえよければよい」典型例には、テレビで時々放映される、河川敷ゴルフ練習(河原で通行人の危険はお構いなしに、ゴルフボールの打ちっ放し練習をする)や潮干狩り大量採集(条例で定められている2キログラムの制限を遥かに超える量を特別の道具で採集し転売等する)などがあります。
他人が困ったり嫌な思いをしても意に介さず自分勝手な行動をする人たちの言い訳は不思議と似ていて「禁止の表示がなかった(実はあるのにもかかわらず見ていないと主張)」、「みんなやっているのになぜ私だけ責められるのか」、「誰にも迷惑をかけていない」など。