変えられるものと変えられないもの(その2)


試しに、「自分としては希望して就職したはずなのに、今の仕事が面白くない」例で考えてみましょう。この場合、入社前のシューカツも含めた過去の自分の努力や判断が正しかったことと、仕事がつまらないこととは認知不協和の関係にあります。
方法は2つ。過去の自分の行動や選択を責めるか、あるいは、今の仕事にも少しは面白みがあると思い直すか。どちらが楽でしょうか。過ぎ去ってしまったことは変え難く、相対的に変えやすいのは、今の仕事に対する認識の方でしょう。
まず、どう面白くないのか見つめ直してみる。耐え難く、すぐにでも職場放棄して逃げ出したいケースも中にはありますが、おそらくふつうは、働き甲斐が感じられない、周辺環境や人間関係が不満、仕事内容が自分に向いていない、待遇が悪いなどなど。
ここで、満足できないまでも「ちょっとでもましなところ」を探してみてはどうでしょう。本当に「面白い」度ゼロかどうか。たとえば嫌な同僚がいるとして、この人が最悪かどうか。自らのキャリア形成を犠牲にしてでも避難しなければならないほど大変かどうか。
たとえば、つまらないから仕事をやめようと思ったとしたら、会社や仕事の魅力がゼロかどうか今一度確認してから決断しても遅くはありません。
認知不協和など知らなくとも世渡りはできるし、この理論自体、日常生活場面では発想の転換や気の持ちようの域を出ないかもしれませんが、不協和のもととなる2つの認知を想定し、どちらを変えることが現実的かを考えることの効用は幾分なりともありそうです。