変えられるものと変えられないもの(その1)

≪昨日は、ユンディ・リという中国出身の若手ピアニストのコンサート(ショパン尽くし)に行って来ました。一つ一つの音(微弱な音までも)がとても綺麗で、将来楽しみな(幅広いレパートリーがこなせそうな素質・テクニックの幅を、素人評論家のマーにも感じさせてくれます)端整な面立ち(「中国のキムタク」の評もあるとか)の演奏家。韓流〜ではありませんが、ユンディ・リ・ファンクラブがあり、追っかけオバさんもいるみたい。何だかなぁ…≫

【今週はチューリップ中心のお花シリーズで】


学生時代、レオン・フェスティンガーの認知不協和の理論(Cognitive Dissonance Theory)がお気に入りでした。試験の論述問題(「○○の現象が起きる理由を説明しなさい」の類の問い)のすべてを強引にこの理論で説明仕切った(と思い込んだ)ことがあります。
この理論のポイントは、①人間は相反する2つの認知の間で揺れ動く、②これら2つの認知のうち相対的に変えやすいものの方を変える行動が生じやすい、③この結果、時に思いがけない結論が得られるの3点かと思います。
テキストによくある実験結果は、「つまらない作業を面白かった」と無理して紹介すれば2000円もらえるグループと100円もらえるグループをつくって、その後、この作業のおもしろさを報告させると、意外にも(?)100円しかもらえなかった者の方が「案外この作業は面白かった」と評価したというのです。
ウソの説明をする代償として100円は少なすぎ、自分で操作できる「作業の面白さ」の印象を高めることで、気持ちの整理をつけたと理解できます。
このことを日常生活に置き換えてみれば、「俺はこんなはずじゃなかった」と過ぎ去ったことを悔いるときに対処するヒントが得られそうです。自分の当時の判断や行動が正しかったのに不本意な事態が発生したとみるなら、この2つの認知は相矛盾します。対処方法は「不本意な事態が意外にそうでもない」と思い直すか、「自分が間違っていた」ことを認めるかのいずれか。おそらく、現実には、自分に非があって失敗したことも多いはずですが、これでは落ち込む一方。できれば、不本意な事態を甘受する方向が望ましい。もっとも、「あなたのせいでこうなった」と責められたり、失敗の影響で自分以外の人たちに迷惑がかかっている場合は事が簡単ではありませんが。