みんな一緒でなくてもいいんだけどなぁ(その2)

やや脱線しますが、女の人の化粧も一律化、高度化(特殊メーク化)しているんじゃないかと。たとえば、あるTVコマーシャルや誌面に登場する何人かの女性が皆同じ顔に見えることが少なくありません。目の周りや唇などのメークが「判で押したように」同じだからです。
エビちゃんだか誰だか、10名ほどがその本人と見紛うような化粧をして目の前に現れたら、審美観の乏しいマーが識別することは至難です。それこそ、百名近くの女性がそのメークのまま行進でもしたら、奇妙を通り越して一種のホラーに映るかもしれません。
ホラーの範囲は人それぞれでしょうが、マーにとっては電車内でメークする女性も立派なホラ―です。みるみるうちに別人のような(目の前の中吊り広告のモデル風の)顔立ちに、それこそ「化ける」のですから。公衆の面前で変身するのだから、電車内メークは生着替え(こちらは軽犯罪にも相当)に近いと思うほどですが、公にはお咎めなし。
人気モデルやタレントの顔が素敵だからといって皆が同じ顔になる必要はないし、化粧の仕方や程度も一人ひとりが思い思いに「持ち味を出せばよい」と思うのですが。リクルートスーツと女性のメークに共通のものが感じられてなりません。