悲劇と喜劇は紙一重(その2)


山嵐は学校をクビになったので悲劇ともいえそうですが、裏表の激しい「怪しからん奴」の赤シャツや野だいこをコテンパンにして坊ちゃんと「二人で大笑った」([注]「大笑いした」の誤記ではありません。原文はこのとおりです。)のだから何はともあれハッピーエンドでしょう。清が東京に帰ってきた坊ちゃんと同居し、その後亡くなったものの望みどおりのお墓に入れたのもハッピーとしましょう。
また、街鉄の技手になっても最後まで相変わらずの坊ちゃんであった点も「いつまで経っても坊ちゃんはやはり坊ちゃんらしいなぁ」と感じられるので、ヤホーの検索で見つけた定義に従うと、悲劇というよりは喜劇に近そう。
物語の書かれている視点が「客観的か主観的か」は表面上は坊ちゃんの独白形式ですから、主観的⇒悲劇的となるのでしょうが、坊ちゃんによる描写のテンポのよさ、裏表のない性格(内心が言動に直結)から来る印象は実況中継の観もあり、客観的視点から書かれているといっても案外無理はない感じです。
したがって、「坊ちゃんは喜劇である」。
この答案で何点もらえるぞな、もし。