真の阪神ファン(その1)

プロ野球ペナントレース開幕。幼児期の記憶はあやふやですが、ご多分に漏れず一応「巨人・大鵬・卵焼き」だったと思います。
物心ついてから阪神ファンの父親、それに毎朝7時からのラジオ番組(阪神が勝った翌朝は「六甲おろし」で始まるトラキチ番組。パーソナリティの中村鋭一は逆転満塁サヨナラホームラン阪神が優勝する架空の実況中継テープを作ってしょっちゅうオンエアするほどの入れ込みようでした。)の感化で阪神ファンとなり約40年。
25年前の日本一以後リーグ優勝は二度あったものの日本一はなし。それでもホームグラウンド300万人動員の球団は唯一だそうですが、40年来のファンは少ないと確信します。なぜなら、これほどまでに期待を裏切るチームはなく、ファンであり続けること自体が一種の「修業」だから。
現に『人生哲学―阪神タイガース的−』(ソニー・マガジン)という著書で、ひろさちやさんは「阪神ファンとして長年の修業」をしてきた成果を披露しています。ドクトルマンボウ北杜夫さんも、かつて阪神を勝たせたい一心から、たまたまある姿勢のときヒットが出たのがきっかけで「あの姿勢と同じにすれば験がよい」と信じて、ヨガの種々のポーズのごとく不可思議な体形によって選手ごとに念力を繰り出したそうで、こちらも修行僧の趣です。
1973年8月5日、阪神はあと一勝で優勝という巨人戦で、ウィニングボールとなるはずの平凡(に見えた)センターフライを捕ろうとした池田が芝に足を取られて転倒して逆転負けを喫し、次の試合にも敗れて優勝を逃したことがあります(「世紀の落球事件」、この一球に纏わるバッシングで池田選手の人生は過酷なものとなったよう。)。
当時TV観戦していた私は「阪神が今世紀中に優勝することはもうないのでは」と思ったほど。同じ年の1973年に達成されたは江夏投手のノーヒット・ノーランは、味方打線の援護がなく、最後は延長11回に江夏自らがサヨナラホームランを放って勝利したところもいかにも阪神らしい。
幸い、その後1985年に一度だけ日本一になりましたが。優勝して2年後に球団史上最低勝率で最下位に終わったのも然りという感じ。