生きている時間の使い方(その1)

あまり流行らない言葉ながら、TOTAL TIME FUNDという考え方があります。随分前に経済企画庁のレポートで社会生活基本調査を分析した際に使われた言葉のようです。
年齢階層ごとの年間生活時間配分を分析したもので、各年齢層の人数×1日当たり各活動時間×365日分の単純計算をもとにし、全部足しあげれば人口総数×24時間×365になる勘定だったと記憶しています。
つまり、1年間の、旅行するとか食事をするなど基本的な各活動時間の総和を算出して、そのバランスを年齢階層間で比較して確かめる作業です。その結果から、子供は勉強し過ぎ、壮年は働き過ぎ、老人はヒマ過ぎの「3過ぎる」の生活時間構造が明らかとなったとのこと。
試みに、生涯の生活時間配分に着目したこの発想を、自分に当てはめて考えてみるとどうなるでしょう(最新のデータで粗々の計算をしてみました。)。
人生80年とすると全部で70万時間。そのうち30万時間は睡眠、身だしなみ、味わわずに食べる、いわば生きるために必要な時間で、さらに15万時間が仕事や家事労働になる(これらがどのくらい有意義な時間かどうかは人それぞれ)から、極論すれば「人間はせいぜい半分しか楽しむ時間がない」ことになってしまいます。
ある物理学者(福井県立大・中村匡氏)のホームページには、戯れ(?)に体感時間を計測する算式が紹介されています。
http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/dye_boots/showpage.cgi?OhtaniNakamura
ジャネの法則(体感時間は、年齢に反比例し、年を取れば取るほど時があっという間に過ぎ去る気がするはず)を下敷きにしたもので、自分の年齢を入力すれば、人生の何割を既に生きた感じになるかが出力されます。
これによると、寿命80年の場合、12歳過ぎでもう人生の6割が過ぎており、20歳で7割、32歳過ぎで8割、51歳を過ぎると9割が終わったという答が出ます。成人式を迎えた時点で、24年(=80年×0.3)しか実感を伴う時間が残されておらず、さらに真に自由な時間がその半分とすれば、「余命10数年」。エコ(大切にしませう程度の意味)の必要は、資源のみならず時間にも当てはまるのではないでしょうか。