生きている時間の使い方(その2)

時間が資源と異なるのは、将来に備えて貯めておくことができないところ。もう一つは、モノでない分、未来の時間や予定について、今から思い描いたり楽しみにしてワクワクできる要素のあるところ。
時間は帰って来ない反面、未来を仮想しての今と、実際に過ごすその時とで2倍、あるいはそれ以上、同じ時間を味わうことができるともいえます。調理中のご馳走の匂いを嗅ぎ取って「今日の献立は何だろう。ごはんまだかな」と思いを巡らせた後で食卓を囲むように、あるいは計画を思う存分立てて仮想や空想を重ねてから、「これならベスト」と考えた場所や行程で旅行を楽しむように。
もちろん、悲観的観測の場合は取り越し苦労をしたり、まだその時に至っていないうちから絶望したりの負の側面もありますが、できることなら思い切りポジティブ思考で先のことを考えてみたいものです。
自分にとって望ましい方向で時間を目一杯味わうためには、希望的観測が多いに越したことはありませんが、希望は可能性との関係が深いだけに、宝くじを買って当たるような心もとない確率で未来に託すことは無謀ですらあります。実現可能性がかなりあるときの希望は今の気分をも高揚させてくれます。
では、確率がゼロに近いときはどうするか。取り越し苦労や悲しみの予行演習でもしてみるんでしょうか?「泣くのは嫌だ、笑っちゃえ」(『ひょっこりひょうたん島』のこの言葉も年代物になりました。)に限ると思うんですけれど。