「大勢いると一人一人はサボりやすい」理論・続き

先日、社会的手抜き(Social Loafing)の話題を取り上げましたが、下の本では、「仕事場面でのチームワークや集団行動がともすると個人単位では無責任に傾きやすい」として、神戸大の金井先生(経営学・キャリア論)が50年も前のキティ・ジェノヴィーズ事件を紹介されています。
これは、深夜ニューヨークの路上で暴漢に襲われた若い女性の悲鳴に気づいて40人近くのアパート住人が窓から顔を出すも、誰一人警察に通報せず(暴漢を)傍観し、女性は援助を受けることなく刺殺されてしまったという痛ましい事件です。
25年前の豊田商事会長殺害事件(マスコミ記者数十人がやはり誰も通報せず結果的に現場の実況中継をしただけ)もこの類の事件といえ、探せばその後も似た例が見つかることでしょう。
〔以上、『社会心理学ショート・ショート』(岡本浩一著、新曜社)を参考にしました。〕
2年前の秋葉原の殺傷事件では、警察への通報は早く、援助をした人もかなりの数に上った(その救護活動中に凶刃に倒れた人もいました。)一方、群集の一部が現場を写メしていたことも話題になりました。
「どうして人がたくさんいながら何もできなかった(しなかった)のか」という素朴な疑問に対してアメリカのラタネとダーリー(Bibb Latane & John Darley, 1970)は「人がたくさんいたからこそ、誰も助けなかったのだ」と考えて実験で確かめ、「他人が傍にたくさんいるほど責任感が分散され自分が救護するまでもないと感じたり、緊急性の判断も周囲の人の動きに流されやすい(助けに回らない人を見てさほど切迫していないと勝手に思い込みやすい)」などの傍観者効果(the bystander effect)を明らかにしています。
他にも、この本の中では、「とりあえずやめちゃえ主義」など、前例踏襲型の発想からあえて脱却するすすめを説いています。
仕事や学問の世界は多分にこれまでの遺産の上に成り立っているようですが、旅館の増築のようなやり方だけでは、古きよき部分と一緒に旧弊も引き摺ることになって身動きが取れなくなりかねない。過去は過去としていいところだけを集めてみたければ、いったん思い切ってリセットしてみるのが手っ取り早いという主張は、「それもそうだな」と感じました。
広いラグビーコートが狭く見えるほど自在なボール回しをした平尾選手だけに、トライやゴールするために、状況や相手の特徴に応じて(←ここが大切だそう)どんなプレーをすればよいか、そのプレーをするための準備とは何かなど、スポ根よりはわかりやすさや伝統へのとらわれのなさ(お行儀が悪いという批判をものともせず)が前面に出されている印象でした。