そっと見守ってあげたい(その1)

バンクーバー冬季五輪も終わりました。日本選手活躍しましたね。フィギュアスケート女子のキムvs浅田は、昼食をとっていたレストランで知らないおじさん同士が「これからだ。キム選手はミスがなく本当に強い。真央ちゃんも大変だな」など、我が子のように心配しているのを見かけました。この2選手演技中の関東での視聴率は45%前後だったとか。
オリンピックや高校野球が終わるとなんとなく寂しくなります。開催中、テレビに大映しにされる選手の躍動感・技や歓声の大きさで高ぶった気分からの、反動でしょうか。
オリンピック報道では、必ず、メダルのことが話題になります。日本代表の一人一人が目一杯実力を発揮してくれれば私は満足ですが、「○○選手は惜しくも4位に終わり、メダルを逃しました」の類のニュースや、当の素晴らしい健闘をした選手にいかにも「残念でしたね」という感じでマイクが向けられることが少なくありません。
また、2日間にわたる競技の場合、初日に5位あたりにいる選手が信じられないような力を発揮して「逆転金メダル」に至る妄想めいた解説をするテレビまであるくらい。ひょっとしたら選手本人以上にメダルや優勝以外見えていないかも。
個人的には「メダルに届かなくとも世界の上位だったら十分立派じゃないか」と思います。強い選手が欠場したり故障退場したときの銅メダルと、強豪ひしめき合う中での5位とどちらがスゴイかなんてわかりません。昔のピアノコンクールでも、何年に一人という演奏家がたまたま同じときに競い合ったため、実力十分のピアニストが優勝できなかったことがあります(たとえば、エリザベート王妃国際音楽コンクール(1956年)はアシュケナージ、ブラウニング、アンドレチャイコフスキー、セシル・ウーセ、ラザール・ベルマン(マーのお気に入りです。)らが競ってアシュケナージが優勝、ベルマンは5位)。
メダル獲得狂騒曲の音量を少し下げてほしいもう一つの理由は、選手によっては金メダル待望の声が大きなプレッシャーとなり、時には、平常心ならメダルも期待できる選手がまさかの予選敗退の事態すら招きかねないからです(柔道でも有力な日本代表選手がオリンピックの初戦で敗れることが何回かあったと記憶しています)。