退屈について(その1)

人間と獣を分ける簡単な目安は退屈心を抱くかどうかだという格言(?)を読んだ記憶がありますが、退屈は様々なきっかけでふいに訪れます。
中には退屈と無縁の充実感に満ち溢れた日々を送っている人もいるかもしれませんが、誰しも退屈に苛まれる可能性はあります。


仕事場面での退屈を感じる人も案外いることでしょう。
自らに役割が与えられているかどうかが一つのカギになりそうです。
仕事の納期は普通は一種のプレッシャーですが、納期がないという仕事でモチベーションを保つのは難しそうに思います。最小限の緊張感は必要な感じがします。

これには、やり甲斐との関係もあります。好きなことや得意なことをしているときは時間を忘れますが、そうでないときは時計の針が(アナログ世代の表現になってしまいましたね)進むのが随分長く感じられます。

それでも機械的作業のように、作業そのものが目的なら単調ながらも退屈心まで沸き起こらないかもしれません。たとえば、校正のような定型的仕事が好きな人もいます。

忙しさと退屈とは必ずしも反比例しませんが、目の前の仕事の忙しさに紛れて時間を忘れるという側面もあるでしょう。


こう見てくると、多くの仕事はやり甲斐を感じて自発的に進める場合を除けば、退屈を回避するためのしかけ(納期、マニュアルなどの作業手順、忙しさなど)が仕組まれているように思えるほどです。

これが仕事を離れて日常生活一般になるとさらに退屈との付き合いは難しくなりがちです。